現代聖書学から、クロッサン9

 これまで、本ブログでは、ジョン・ドミニク・クロッサン『イエスとは誰か──史的イエスに関する疑問に答える』を紹介してきましたが、今回は、最終部分です。

9 どのようにしてイエスがキリストになったのか
「まとめ」(174-175)

「ロメロ大司教」「一九八〇年、四旬節のミサを挙げている最中に暗殺されました」、「一三年後、シカゴの私の主宰する歴史研究のシンポジウムに参加したドリュー神学校のキャサリン・ケラーの発言には感動しました。彼女は最近までエルサルバドルにいて、そこで、「生まれて初めて、原始キリスト教の物語が自分にとって現実になりました」というのです。ケラーが出会ったのは、体と心の癒しや食事(たとえば、政府に食事を与えられない服役中の学生に、食糧を差し入れる)もまわりに組織された草の根の共同体でした。彼女はこう言います。「復活したロメロ」の絵はいたるところの壁に貼られているけれども、「彼は、他者のために自分の生命をささげた──しかも贖罪の生け贄で神を満足させようというグロテスクな試みではなく、死の力もかなわないほどに自分たちの生命を共有した──男女の殉教者たちと一緒に、現れ続けています」。人々は死と直面しながら「気の利いた上等のユーモアや虹色の希望を(楽天主義ではない)、歴史と世界政治の明晰な批判分析に結びつけて」したたかに生きている。そんな共同体でイエスの言う神の王国が身近に感じられたと、ケラーは言うのです。・・・こんな話を聞いたら、神の王国の福音の現実と力を認めないわけにはいかないでしょう」(178-179)
「キリスト教は、歴史上のイエスを私たちに対する神の顕現と信じます」、「キリスト教を信じるとは、歴史上のイエスの姿に神の力と知恵を見ること、そしてそれを自分の人生の指針として真剣に受け止めることを意味します」、「信仰とは、つまり史実の究極の意味なのです」、「私の信仰するキリストによって私の知る歴史上のイエスを最も深く理解できないようなら、私は自分の信仰を検討し直したほうがいい、ということです」(180)

 以前にも、クロッサンなどの現代聖書学と波多野精一との類似性・一致点を指摘してきましたが、以上のクロッサンの主張と次の波多野精一(『時と永遠 他八篇』岩波文庫)の議論とは、同じ事柄に触れていると思われます。

「永遠性はすでにこの世において体験されるのである。永遠と時とは相反する性格を担い、永遠的存在は自然的文化的生に対して飽くまでも超越性を保つにもかかわらず、他方また内在的である」(210-11)。
「顕わになった永遠、到来した死後の生の内容はいかなるものであろうか。」(237)
「死後の生永遠の生の核心をなすは、神の愛に基づく人との神へ並びに人への愛、神と人とのまた人と人との共同、創造者と被創造者とを成員とする聖者の交わり、でなければならぬ。」(237)
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