宗教的寛容と信教の自由

 宗教的寛容と信教の自由は、多くの場合、かなり置き換え可能が概念という面をもつ。現代世界で、宗教的寛容が大切であると述べるのと、信教の自由が大切であると言うのとは、十分相通じる主張と考えて良いように思われる。
 しかし、両者は、本来厳密に区別すべき側面を有している。時代的に見て、宗教的寛容は信教の自由よりも古くから存在し、古代や中世において宗教的寛容を問うことは可能であるし、近現代以降においてもそうである。それに対して、信教の自由とは、その厳密な意味で考えれば、優れて近代的な概念であり、人権概念の成立と不可分であると言わねばならない。したがって、古代や中世の宗教思想において信教の自由を論じるのは無理がある。また、宗教的寛容が本来否定的に評価されるべき存在者を我慢して忍耐して認めるという意味を有するのに対して、信教の自由はたとえばマジョリティがマイノリティに恩恵としてしぶしぶ認めるという種類のものではなく、まさにこれは人権、人間としての基本的権利に関わる事柄である。
 このように宗教的寛容の信教の自由とは区別を要する問題ではあるものの、しかし両者は決して無関係でもない。むしろ、中世の寛容論は、ヨーロッパ諸都市の寛容のネットワークを形成する中で、近代的な信教の自由の成立の母体にもなり得たのである。ここに、宗教的寛容と信教の自由の錯綜した問題圏が成立することになる。

 キリスト教思想と人権思想との歴史的関係を論じた論文集として、次の文献は参照すべきものの一つであろう。

John Witte,Jr. and Frank S.Alexander (eds.),
Christianity and Human Rights. An Introduction,
Cambridge University Press, 2010.

 また、日本の宗教学研究においても、宗教の諸伝統の多元性を念頭に「宗教と寛容」を論じるという問題関心は存在し、たとえば、次の論集は、その一つと言える。

竹内整一、月本昭男編
『宗教と寛容──異宗教・異文化間の対話に向けて』
大明堂、1993年。

 わたくしが、以前に代表者であった、次の研究会(終了)は、まさにこの宗教的寛容をテーマ的に追及したものであり、研究法論集を含め、その活動については、次のWebを参照。
「宗教的寛容」研究会(2003-2005年度)

 この研究テーマについても次の展開を考えるべき時期かもしれない。
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