宗教倫理学会・学術大会

 昨日、宗教倫理学会の第15回学術大会が、キャンパスプラザ京都を会場に開催された。
 午前中に、4人の個人研究発表が行われ、午後から、公開講演会とシンポジウム、総会、そして懇親会というプログラム。
 個人研究も多様な内容で、それぞれ充実した聞き応えのある発表であり(後半の2つは、特に)、何よりも、今回は午後のプログラムが良かった。

 公開講演は、東北大学文学研究科の佐藤弘夫先生が、「カミ・死者・人──日本列島における宗教共同体の過去と現在」という講演であり、日本宗教のマクロな動態が明確に描き出された。
 これは、古代的一元的世界観から中世的二元的世界観への転換は、近代前以後の対比という単純な日本イメージの再考を迫るものであり、さらに、中世から近世への転換(超越的な領域の縮小と人間的領域の肥大化=世俗化、中世的な意味での宗教的救済のない社会)が、江戸期の幽霊譚などの具体的な事例との関わりで示された。近代はこの延長線上に到来し、異様なナショナリズムの沸騰をもたらすことになる(現代日本のナショナリズムの現象は近代から近代以前への回帰ではなく、近代の徹底化・帰結として読むことが出来る)。
 こうした視点(近代の外部)の設定で、「近代」とは何かが取り下げて問うことと、そして現代における宗教共同体の可能性が見えてくる、という趣旨であった。

 日本宗教のマクロが動態(連続性を有しつつも古代からのいくつかの大きな転換・変貌を経て現代へと至る)について、講演を聞きつつ、いくつかの問いが浮かび上がった。

・このマクロな動態は日本に限ったものではなく、例えばキリスト教的ヨーロッパにも類似の動きを見出すことが出来る。「日本」を他の文化圏との比較で問い直す作業、そして比較からさらに議論を掘り下げる(たとえば構造へ?)ことが魅力的な研究テーマとして浮かび上がる。本ブログでも、中世の民衆史に関して、この問いを取り上げたことがある。

・マクロな動態を引き起こしたものは何か。たとえば、中世から近世への変貌を今回の講演では「変貌する公共空間」として描き出したが、この超越的救済の世俗化は、時代的にはキリシタン時代に重なる。キリシタン的な強力な救済宗教の排除として成立する江戸期の宗教政策が、この変貌を引き起こした重要な要因の一つではないのか。おそらく、マクロな動態を掘り下げるには、国家・政治というファクターを考慮することが必要になる。私見では、この江戸期の宗教政策が、現代に至る日本の宗教的状況を規定しているように思われる。

・近世における超越の縮小・脱落は、西洋における啓蒙思想(村上陽一郎的には、聖俗革命)の成立に平行するものであるが、これは、超越の内在化と解することができるだろう。これを象徴的に示すのが、光のメタファーの動きである。神的照明の光が理性の光へと内化(しかし、理性の光は神的な次元への通路としての機能を失ってはいない)するプロセスである。このような日本の近世の宗教性が存在したからこそ、明治期以降の西欧近代は、日本へと接続できたのだろう。
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