『福音と世界』から

 『福音と世界』(2014.12)が届きました。
 
 今回の特集は、「終末を神学する──真の希望のために」です。次の諸論考が掲載されています。
・内田樹「レヴィナスの時間論」
・片野淳彦「御子にこの希望をかけて──ヨーダー「終末論なき平和?」再読」
・平岡仁子「典礼と終末」
・松島雄一「それは希望ではなかったのか?──ユーカリストからの反問」
・来住英俊「「終わりの時」の実存的意義」
・福嶋揚「終末論と資本主義」

 終末論は通常、キリスト教神学体系の最終部門を構成する。しかし、そこに全ての議論が収斂するということは、そこから一切が再び展開されるということであり(ティリッヒは自らの「組織神学」でそのように指摘している)、終末論が豊かな議論・問題のコンテクスに流れ込むことは当然の事態である。今回の特集はまさにそのような広がりを有している。そして、終末は本来希望の問いであると考えると、現代日本の希望の行方について考えざるを得ないことになる。「希望の組織化」を強調したのは高木仁三郎であったが、現在のキリスト教は、希望のネットワークのどこに立っているだろうか。

連載からは、次のものを特に取り上げたい。

・一色哲:南島キリスト教史入門2「日本伝道の「橋頭堡」としての琉球──琉球王国時代の宣教師の動向を中心に」
 沖縄知事選勝利のニュースの中で、日本本土のキリスト教会はしっかり南島(奄美・沖縄・宮古・八重山)に眼を向ける必要がある。

・寺園喜基:カール・バルト『教会教義学』の世界12(最終回)、「和解論(倫理学)」
 バルトの洗礼論は、重要な問題提起である。わたくしも、子どもの幼児洗礼の際に、バルトの「幼児洗礼の否定」について考察し、文章にしたことがあるが、洗礼自体を含め、考えるべき論点は少なくない。12回の連載、ご苦労様でした。

・早川朝子:旅する教会──再洗礼派と宗教改革 21、「フッター派の500年──財産共有と無抵抗主義を守りぬく」
 財産共有、無抵抗主義、いずれも現代のキリスト教を考える上で、重要問題というべきものである。近代の歴史的文脈で、キリスト教はどのように生き抜いてきたのかを知ることは大切な作業である。
 
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