『福音と世界』から

『福音と世界』2015.3、が届きました。内容の簡単な紹介をいたします。

特集:教会と終活
 1、2月号に続き、「教会」に関連のテーマですが、今回は信仰共同体としての教会における信仰者の人生に関わる重大問題である「死に向き合う生」が問題のされています。現代世界において、教会も個人も大きな問題に直面しているわけですが、必要な指針が整っていないのが、現状でしょうか。もちろん、状況倫理的に考えれば、指針を期待する方が問題なのかもしれませんが。

・「死を活きるコイノーニア」(石居基夫)
・「死に対する自由意思の限界」(碑文谷創)
・「与えられたいのちと向き合う──キリスト者の「終活」」(木村恵子)
・「今を一生懸命生きる──キリスト者として死ぬこと、生きること」(一木(古郝)千鶴子)
・「「良き管理人」となるために──ジョン・ウェスレーの神学と終活」(中井幸夫)
 
 キリスト教思想に対して、多くの問いが投げかけられていることがわかる。だれがこの課題に取り組むのか。

今回の号は、特集以外に、次の論考が収録されている。
・「敵を愛するとは何か──あるパレスチナ農民の生き方」(神崎雄二)
・「リミナリティの創造的可能性──痛みをみつめるアジア系アメリカ人神学」(佐原光児)

次に、連載へ。
・一色哲「南島キリスト教史入門」5
 「南島における近代のはじまりと奄美におけるカトリック宣教の開始」
 奄美群島に住む人々の心性としての「四百年の失語」「二重の疎外」。

 奄美・沖縄・宮古・八重山の問題が、この疎外の多重化という歴史的現実の中に存在すること。見過ごしてはならない視点である。わたくしたちは、認知構造に起因して、関心の希薄な対象を単純化する傾向を有しているが、いつまでもこのレベルにとどまっていてはいけないはずである。

「旅する教会──再洗礼派と宗教改革」24(最終回)
 永本哲也「戦後に生まれた再洗礼派教会──日本のメノナイトとフッタライト」
  「日本での宣教は大都市よりも地方の町村や農村地帯に集中すべきであり、大都市に勢力を集注すべきではない・・・」(日本メノナイトキリスト教協議会)。
 「北米のメノナイト・ブレザレン(MB)による日本宣教は大阪で始まった」、「64年9月には教団が宗教法人「日本メノナイト・ブレザレン教団」として認可された」。
 「戦後の宣教によって始まったメノナイト教会は、2012年には70以上の教会に2985人の信徒を擁するところまで成長した。しかし、宣教が活発に行われ教勢が拡大していた時期は既に終わり、メノナイト教会、大輪コロニーを含め、信徒数が停滞・減少し、高齢化が進んでいる」。
 「日本も含め世界中に広がった多様な再洗礼派教会は、今後も自らを取り巻く時代や状況に合わせ変化し続けていくだろう。それでも彼らがイエスに従う「弟子の道」を歩むことを選び、洗礼というかたちでその決意を告白した人々であることはこの先も変わらないだろう」。

 16世紀のヨーロッパから日本にたどりつき、再洗礼派の旅の叙述も、最終回となりました。ご苦労様でした。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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