リクールのカント論(5)

 前回(昨日)は、「表象」というタイトルのもとで展開された、リクールによる『宗教論』の第二編:「カントのキリスト論」の要点を抜き出した。この部分は、カントの宗教哲学を論じる上で、悪論と並んで、あるいはそれ以上に重要なポイントであり、カント解釈の難問はここにあると思われる。とすれば、当然、現在のカント研究でどうなっているかが気になるところであり、今回は、この点について文献を紹介したい。この第二編を扱った参照すべき論考が、実は身近に存在する。京都大学大学院キリスト教学の博士後期課程を指導認定という形で修了し、現在、カントに関する博士論文を執筆中の南翔一朗さんの論文である。

南翔一朗
「カントの宗教哲学における「善の原理と人格化された理念」とキリスト」
日本基督教学会『日本の神学』53、2014年、70-90頁。

 南論文の中心的な論点は、カントのめざす理性宗教が、アポステリオリな要素(歴史的なイエスや悪の経験)を捨象したアプリオリなもの(超歴史的な理念)にのみ基づいて構想されることによって、理想宗教自体に問題が生じている(三つに引き裂かれた「私」、恩寵によって救われるという他力の回帰)、そしてこの問題は、人間本性におけるアプリオリ(道徳的理性)とアポステリオリ(歴史的な経験)との関係を徹底的に再考することを要求する、ということである。

 私見では、これはリクール的に言えば、カントにおける構想力の位置づけ、また『宗教論』における理念・理想、像、図式という一連の問題連関を解明するという作業となり、ここに宗教言語や神話を哲学的に論じる意義がある、となるだろう。この点については、次回「信仰」の部分を紹介するときに触れられることになる。
 カントの問題は、現代キリスト教思想の理論的基盤に関わる、困難であるが魅力的なテーマである。
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