西田田辺記念講演会

 昨日は、恒例の西田田辺記念講演会が開催された。今年は、京都大学文学研究科西洋近世哲学史の福谷茂先生と、立正大学の村田純一先生のお二人の講演であったが、わたくしは、所用の関係で、前半の福谷先生の講演のみの聴講となった。

 福谷茂:田邊元の二つの弁証法──絶対弁証法と「種の論理」
 村田純一:作られたものから作るものへ──西田幾多郞における技術・科学・宗教

 以下、福谷先生の講演の紹介。
 福谷先生の議論は、「種の論理」という田辺の有名な問題を、その歴史的実践的な文脈においてではなく、田辺の哲学的論理において明らかにすることを目指すものであり、思想史的連関を主なる文脈とした田辺の内的思索の解明という問題設定において進められた。
 その基本的な主張は、司会の藤田正勝先生がまとめられたように、次の三つのテーゼにおいて示すことができる。

・「ある点で「種の論理」はヘーゲル研究を終えた田邊がカントに復帰した結果だ」
・「合そのものが「超越的全体」に媒介される局面こそ絶対弁証法の急所である」「正反との関係だけで生み出されるのは仮の合」「その仮の合とさらに「超越的全体」とが媒介されたのが・・・弁証法的過程を連続させてゆく使命を果たしうる真の合」
・「合と「超越的全体」とが媒介される局面自体がいま一つの弁証法とみなされることで、種の論理が、ないしは〈絶対媒介〉が成立した」「類としての「超越的全体」は一気にではなくその段階での合、つまり「種」を媒介することで個にとってアクセス可能となる」

 田辺の論理構造が、田辺には素人のわたくしでも理解できる明晰な講演であった。質疑応答では、「超越的全体」の内容に関わって、また「上からの到来」という表現について、議論が行われた。

 キリスト教思想という観点からは、全体をめぐる「終末」「先取り」「歴史」という論理構造、あるいは啓示の超越と内在などとの並行的な連関が興味深く思われた。つまり、歴史・時と言葉とキリストという仕方で分節される出来事の問題である。田辺もさまざまな点でキリスト教の近くにいることが改めて確認でき、大きな収穫であった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR