矢内原演習より1

 現在、キリスト教学演習で矢内原忠雄の戦時評論(『国家の理想』岩波書店)を読んでいることは、以前に本ブログでも書いたことがあっただろうか(記憶では)。昨年度後期の続きであり、ほぼ一年間矢内原を精読してきた。あと4回ほどで終了となる。昨年度の後期の演習であつかった諸論考については、すでに、芦名定道「キリスト教平和思想と矢内原忠雄」(現代キリスト教思想研究会『アジア・キリスト教・多元性』第13号、2015年、1-18頁)でその一端を論じた。
 今回「矢内原演習より」として掲載されるのは、今年度になってから演習で扱った論考・評論であり、後期に南原繁に進む前に、議論を整理しておきたいと考えたからにほかならない。また、1930年代の戦時評論を読みながら、矢内原の状況が現代日本のそれと驚くほど類似していることも(現代の反立憲主義、反自由主義、そして反知性主義を見よ!)、本ブログで矢内原の議論をまとめておこうと思った理由である。なお、ここでは、矢内原の評論からの文章の抜き書きを中心に、それにコメントを組み合わせるという形になるものと思われる。

 演習の最初に取り上げたのは、「自由と自由主義」(『思想』第85号、1929年)であるが、この論考は、1930年代に先だって、「自由を求むる自由主義は時代錯誤であるであるかの如く思ふもの」(1)が少なくないという状況にある時代において、「それが時代錯誤であるか無いか」を問うという問題意識において書かれている。この自由と自由主義を軽視する動向は、「宗教改革論」(1940年)で、全体主義の大なる波として表現されたものである。
 矢内原は、自由と自由主義を擁護するために、まず、自由とは何かという論点の明確化を試みる。そのために当時の自由主義の代表として河合栄治郎の論文を批判的に検討するという方法論が採用される。議論は、カント、グリーン、ホッブハウス、河合とを相互に比較しながら展開されることによって、論の大筋(矢内原は、この自由というテーマにおいては、カント主義を採用しており、それが自然主義・功利主義へと逸脱する動向を批判的に捉えている。この逸脱は、分リーン、ホッブハウス、河合の順で、ひどくなる)は明瞭であるとしても、細部において論が辿りにくいと論述となっている。矢内原が、こうした抽象度の高い議論を展開することは、少なくとも戦時評論では比較的まれであり、他の評論と比べてもこの論考は読みにくいものとなっている。

注目すべき論点として、たとえば、次のものが挙げられる。
・カントの自律性を神関係と積極的に結びつけること。矢内原は、このためにパウロに言及する(5)。
・自由と正義の関連づけ。「正義は道徳的自由の内容を為す。社会生活上の自由、即ち人と人との関係に於ける行為の自由も亦、正義を以て其の内容とする」(9)。
・正義とは希求の尊厳にある(10)。
・もちろん、矢内原は、自由主義の理解・理論のレベルでの相違を第一義的に主張しているわけではない。むしろ、問題はいわば「主義」の相違を超えて、自由のための実践を遂行することにある。これも、現代日本の状況に合致するといえるであろう。

「重要なる事は自由の為に闘ふことにして、「主義」の上に立つことではない」、「実践なき主義は空虚、思想の理解なき体系は遊戯である」(19)。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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