原発と憲法

 久しぶりに、「大震災・原発関連」の記事を掲載します。最近は、わたくしが運営している別のブログで、現代日本の政治的な問題を扱っている関係で、こちらのブログは、基本的に研究に関連するものに限定されているわけです。
 ただし、このブログが「環境・経済」という問題から当然政治に及ぶものであるため、具体的な事例にふれることは、あり得ることであり、今回は、次の文献を紹介することにします。

小出裕章
『原発と憲法9条』
遊絲社、2012年。

自己責任を果たす──まえがきにかえて

I 原爆・原発と憲法9条

二〇一一年四月一三日『FMわいわい』小出裕章インタビュー
II 私が原子力に反対する根本的な理由
  聞き手/キクチアキ

  ●コミュニティFM放送局『FMわいわい』についての予備知識
  ●二〇一一年四月一三日『FMわいわい』インタビュー

二〇一一年一〇月三一日『FMわいわい』小出裕章インタビュー
III どんなに苦しい事実であっても
  聞き手/キムチアキ
      /溝江玲子

  ●二〇一一年一〇月三一日『FMわいわい』インタビュー


 原発の危険性・問題についての解説はさすがに明晰に説得的です(入門書としてもよいでしょう)。この文献の特徴は、後半がインタビューという形式的なことだけでなく(最初の「I」も、講演がもとになっている印象です)、問題を「憲法」との関連で述べている点です。実際、原発の問題とは、狭い意味での科学技術の問題と言うよりも、政治・経済の問題であり、したがって、憲法の問題に及ばざるを得ないことになります。
 小出さんは、こうした文脈で、ヴァイツゼッカーの『荒れ野の40年』に触れ、ニーメラーに言及しています。

 「ナチスに責任を押しつけるだけでは十分ではない。教会も自らの罪を告白しなければなりません。もし教会は、本当に信仰に生きるキリスト者から成り立っていたならば、ナチスがあれほどの不正を行うことができたでしょうか。」(91)
  
 ニーメラーから小出さんが受け取ったメッセージは、歴史を見つめることが大切である、ということです。事実がどんな苦しいものであっても事実を直視するところからはじめる、そのために必要なのが、事実の歴史的文脈を知ることです。

 2015年8月。原子力と憲法をめぐる問題は相互に並行的に、そして絡みながら進行中であり、現代の日本人は、「お前はどこにいたのか」という問いから逃れることができないはずです。
 本来、人文学とは、こうした問題の歴史的批判的な分析を使命にしているはずであり、だからこそ、今激しい不要論に曝されることになるのである。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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