契約について

 「契約」思想は、聖書の、そしてキリスト教思想の基盤をなしている。本ブログがテーマとするキリスト教自然神学にとっても同様である。その内容の概略を図式化し、今後の議論のためにメモとしたい。

 契約は、人間の社会関係にその場を有していることは、その通りであるが、聖書においては、契約は、神と人間・世界という関係の基礎に置かれることによって、宇宙論的な意味を有している。

・契約 → 「創造/終末」という時間軸を生成させる。ここの、自然・宇宙は位置づけられる。
・契約 → 「神─人間」/「人間─人間」:これは、「人間」が共同体と個を包括するという構造を含む。ただし、聖書においては、共同体が基盤をなしていると言われる。

 この契約の展開・射程(形式)を、内容に即して考えればまとめれば、次のような契機が存在することがわかる。

・契約=「約束/信頼」
 この契機は次のような議論の展開を要求する。
 「約束」→「実現・成就」=終末(それに至るまでの摂理・予定)、これは、共同体において現実に成立する「契約」が有する脆さ・脆弱さに対して言えば、契約を破った当事者に対する「赦し」(基本的には、人間に対する神の)を可能にする仕方で、「希望」の地平を示すものとなる。
 これは、アーレントが問題にした「赦し」(イエスが発見した赦しの社会的役割)に他ならない。

 これに対して、「信頼」は契約の根拠=理由として過去の出来事へと遡及することを要求する(「契約」に集っている者たちは、「信頼」を要求する、「信頼」に値するという、彼ら/彼女らはそれぞれ何者か)。これは、基本的には「物語」という形式における語りとなる。これが「創造」物語から、聖書がはじまる理由であり、また物語こそが「自己同一性」にふさわしい形式であるということに他ならない(リクールの言う「物語的自己同一性」)。

 以上よりわかるのは、「契約」は聖書的思惟の基盤であり、中心であると言うことである。
 契約の出来事は、創造への遡及と終末への指示という二つの時間的方向性を生み出すことによって時間軸を成立させ、それが共同体の成立であるという点からいって、共同体によって共有された物語的時間としての「歴史」(意味連関)を可能にする。ここに見られるのは、アウグスティヌスが、心の内的時間構造として記述したものの共同体的な対応物とも言えるが、ポイントは、「契約」がこの共同体の歴史的時間を基盤にして、宇宙的時間と心の内的時間とを含んでいる点である。

 では、「契約」の根拠は何か。おそらく、ここで問われるのは、謎、つまり「選び」という謎であろう。契約は一方で合理性をその内的契機として含んでいるが、その根拠は合理性を生成させる非合理的なものとしての「選び」というべきと思われる。これは、「共同体・個人/宇宙・歴史」という意味形式が生成する起点としての「契約」が、その成立を意味内実(根拠/無根拠)に負っているということである。これは、ティリッヒの意味の形而上学の用語による説明ではあるが。

 本ブログは、以上の議論を、社会科学的な問題領域で具体的に展開することを目指しているわけである(「社会」は典型的な問題の場となる)。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
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