日本宗教学会・学術大会、パネル

本日で、日本宗教学会・学術大会が終了した。開催校である創価大学のみなさま、そしてたいかいでさまざまな役割を果たした方々、研究発表を行った方々、ご苦労様でした。来年度は、早稲田大学での開催となります。

 日本宗教学学会・学術大会の特徴は、多くの部会に分かれ、多数の研究発表が行われることである(これが素晴らしさであると共に、大会を運営する側にとっては大変な問題でもある)。そして、すっかり定着した感のあるパネル企画が多くの聴衆を集めており、これなしに学術大会を語ることはできない。
 今回の学術大会ではいくつかのパネルを聞く予定でいたが、結局聞くことができたのは、次のパネルだけであった。このパネルは、日本学術会議後援、日本宗教研究諸学会連合・日本哲学系諸学会連合共催によるものであり(日本哲学会・日本倫理学会との合同企画)、その関係で、これだけは出席しました。

パネル:〈考える「倫理」〉の授業における宗教学の役割
  代表者:藤原 聖子
  サンデルが宗教の授業をするとどうなるか―英国宗教科の新展開― 藤原 聖子(東大)
  オランダの宗教教育における仏教とイスラームの表象 ヨーン・ボルプ(オーフス大)
  私たちは誰を愛するのか―生命倫理におけるキリスト教的視点― 土井 健司(関西学院大)
  コメンテータ:林田 康順(大正大)
  コメンテータ:小田 淑子(関西大)
  司会:藤原 聖子(東大)

企画の要約と意義、個々の発表内容
 本パネルは、日本学術会議後援、日本宗教研究諸学会連合・哲学系諸学会連合共催による、日本哲学会・倫理学会との合同企画である。
 2015年前半に、日本学術会議・哲学委員会から、提言「未来を見すえた高校公民科倫理教育の創生─〈考える「倫理」〉の実現に向けて─」が発表される予定である。これは、中等教育でマージナライズされる一方の「倫理」の今日的重要性を訴えるものである。2020年からの大学入試改革を先取りし、暗記中心の学習から主体的に「考える」学習へと倫理教育の内容を転換することで、あらゆる生徒に不可欠な基礎力を効果的に育成できるとしている。
現政権下で、中学校までの「道徳」の教科化が決定され、また、「公共」という名称の高校新科目の導入が検討されているが、それが特定の価値の強制にならないように、十分注意をしなければならない。今回の「提言」は、そのような政策から一線を画し、生徒の自主性を守りながら無規範ではない社会を構築するための教育の方策を積極的に提案している。
 他方、高等教育に関しても、学術会議内で、「質保証」のための分野別参照基準についての議論が進められ、宗教学、インド学仏教学、中国思想、日本思想などを含む「哲学」の参照基準の原案が完成するのも2015年である。この参照基準では、「市民性の涵養」が諸分野に共通する大項目になっており、大学教育が、知識の伝達や思考力の育成だけでなく、民主主義社会を支える共通の価値基盤の形成にも関わることが前提とされている。つまるところ、中等教育でも高等教育でも、「考える倫理」をコンセプトとする教育の具体化が、課題として急速に共有されつつある。
 これらの動向を受けて、宗教学は、「考える倫理」教育にどのような役割を果たせるのかを議論し、具体的な方策を提案するのが、本パネルが目指すところである。教育学では、上記のような、思考力と規範の構築を両立させる公民教育を、従来の公民教育・道徳教育から一線を画すために、「市民性教育」と呼ぶことが多い。宗教学でもこの概念は、「宗教的情操教育」と本パネルの試みを区別するために役立つ。実際に、市民性教育の発想により、宗教教育を公立校で実施している例も海外には存在する。すなわち、生命倫理、環境倫理、異文化共生、戦争と平和、貧困、人権、動物の権利、宗教と科学などの諸問題を考える上で、諸宗教の見解を参照しながら、討議民主主義の予行練習をするような試みである。日本で現在、「いのちの教育」「宗教文化教育」等々と分断されている宗教学関連諸教育を有機的に結びつけ、単なる功利や規範主義に陥らぬよう反省的思考の育成をより強化したものと言えるかもしれない。学術会議の「提言」とそういった先行する実践例を踏まえ、日本の状況に合った「考える倫理」教育を宗教学として構想したい。
 3人の発表者はそれぞれ、イギリス、デンマーク、日本での、上記の理念に沿う教育の理論と実践例を紹介し、参加者と共有可能な課題・問題を提示する。第一発表者の藤原は、イギリスの教育が市民性教育化=コミュニタリアン化することにより宗教の扱いはどのように変わったかを紹介し、その功罪を分析する。第二発表者のボルプ氏は、日本の仏教を専門とし、デンマークの中等教育用宗教科教科書を執筆している。ムハンマド風刺画事件後のデンマークの教科書が、イスラームや仏教をどう描いているかに焦点を当てる。第三発表者の土井氏は、生命倫理問題のなかでもとりわけ移植医療において、宗教的な「愛」の概念は容易に臓器提供に結びつけられやすいが、そこでステレオタイプ化して決めてしまうのでなく、この場合に「愛」とは何かを考える必要性とその可能性を考察する。コメンテータは、教科書における法然―親鸞の記述についてパブリックに問題を提起している林田康順氏と、イスラームを専門とし、哲学教育にも知識教育にも造詣の深い小田淑子氏である。

 パネルは、よく準備されたパネリストの提題とコメンテータのコメントにより、少し時間のオーバーになるほど充実した内容であった。また、聴衆は、自分自身の本務校などでの授業のことなどと関連づけて聞くことができ、多くの考える材料を得ることができた。
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