預言と知恵

 聖書の思想を論じる際に、従来から、そして現在も、預言的な思想系譜が重視されてきた。旧約聖書の現在の形態がバビロン捕囚期以降の歴史的文脈に位置すること、また新約聖書もこの預言者的精神を共有していることなどから考えれば、当然と言うべきかもしれない。しかし、近年、知恵思想の系譜(知恵文学)への注目が高まっており、聖書の思想を論じるには、預言と知恵の二つの系譜をどのように関連づけのかが問われてくる。

 本ブログでも、最近紹介したセドラチェク『善と悪の経済学』は、聖書を経済学との関係でかなり踏み込んで論じているが、そこで、扱われるのは、経済に肯定的な内容を有する知恵的な系譜が主なものであって、従来、聖書と経済というテーマで強調されてきた、預言的思想における強烈な経済・お金批判はほどんど触れられていない。

 預言における富者批判と、知恵における経済の肯定という二つの系譜をどのように関係づけるかが、「キリスト教と経済」を論じる上でも決定的な意味を有することは疑いえない。では、どのような見通しを立てることができるだろうか。
 わたくしの現在の見通し=私見は、契約思想のダイナミズムの中に、預言と知恵を配置できるというものである。
 創造思想の前提としての契約思想という議論が、ラートの古典的とも言える研究から説得的に論じるとすれば、やはり、「契約」こそが、鍵をぎ握っている、ここから聖書解釈と社会科学との関連づけるという方向性は、かなり有力と言えるように思えてくる。「契約」は、聖書学を超えて、キリスト教思想における思想史や組織神学とも関連づけ得るものであり、こちらについても、いずれ議論すべきように感じられる。こうした研究プログラムを支える哲学的基盤としては、これもいろいろ考えられるが、波多野精一は、一つの出発点になるかもしれない。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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