科学技術の神学に向けて

 現在、わたくしが進めつつある研究テーマは、いくつかのグループに分類できるが(科学と宗教、日本キリスト教思想、近代キリスト教思想・宗教哲学・・・)、今後のどのような方向で研究を展開するかについて考える中で、「科学技術の神学」というテーマが浮かび上がってきた。これは、これまで「科学と宗教」関係論、自然神学というテーマにおいて論じてきた研究のいわば一つの具体化であり、その意味では、急に思いついた問題ではない。しかし、このテーマを考えるにあたっては、これまでの諸テーマを統合するような研究にならざるをえないという見通しがある。これから先、面白い問題なら何でも首を突っ込むという態度には区切りを付けるべき時期を迎えつつあり、そろそろ絞り込み、集約し、深めることに研究態度をシフトすべきであるということである。
 「科学技術の神学」の出発点は、次のように提示できる。

「この科学技術の両義性の影の面を認識するとき、キリスト教思想が科学技術に対してもつべき関わり方として、科学技術の批判的監視者として役割を挙げることができるであろう。人間存在の有限性と罪責性とに規定された科学技術の両義性は、科学技術の力が増大するに比例して、その潜在的な危険性をも増大させるものであるが、しかしすでに述べてきたように、これは人間にとって偶然的な事柄でなく、むしろ科学技術をその本質に組み込んだ文明の運命と言うべきものであった。したがって、科学技術、特に近代以降現代の科学技術に対して向けられるべき批判的な監視の目は、科学技術に質的に規定された文明全体を視野に入れることが必要になる。科学技術に対するキリスト教的な批判的な眼差しは、科学技術の社会批判(政治と経済)において具体化されねばならない。このように、科学技術の問題が、狭い意味での科学や技術の枠を遙かに超えた射程を有しているのは、これが人間存在自体の固有の事柄であることからの帰結なのである。」
(芦名定道「科学技術の神学にむけて──現代キリスト教思想の文脈より」(日本宗教学会『宗教研究』第87巻、377-2、2013年)、39頁。)

 
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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