『福音と世界』から

『福音と世界』2015.11(新教出版社)が届きました。簡単に内容を紹介いたします。

今回の特集は、五回目となる「戦後70年の教会と神学」です。
特集「戦後70年の教会と神学5──沖縄とヤマト」
 五回目の特集は、「沖縄とヤマト」です。沖縄を問わずに、戦後70年を理解することはできない。その中で、キリスト教界は、何を行い何を行わなかったのか、沖縄は日本全体は。問いべきとは少なくない。しかも、掘りさげた議論が必要である。なぜなら、この問いは、辺野古の闘争一つをとっても、現在の決定的な問題だからであり、また、「ヤマト」のいわば自明性が問いに付されているからである。それだけに、きわめて重い特集テーマである。

・「「沖縄戦」後七〇年と沖縄の教会」(村椿嘉信)
・「千語・日本基督教団と沖縄の関係」(大久保正禎)
・「米国統治下における沖縄の社会正義神学」(宮城幹夫)
・「沖縄のキリスト者女性たち──その働きと問いかけ」(久保礼子)
・「日本基督教団東京教区北支区の沖縄教区との交流」(秋山眞兄)

次に、連載(ほんの一部ですが)から。
・一色哲「南島キリスト教史入門」13
 「社会へのまなざしと〝底辺〟へむかう志(2) ディアスポラの沖縄人たちの信仰と社会正義」

 今回の「沖縄とヤマト」特集にも呼応する内容です。
 テーマは「沖縄にとって、二〇世紀は出稼ぎ・移民の世紀であった」をめぐる問題です。

 近畿でも、大阪、京都には、沖縄から移ってきた人々が多く住んでおり、まとまったコミュニティを形成している。近代日本は出稼ぎと移民を、沖縄をはじめ、周辺的地域の人々に強制することによって推進されてきた。そこで、思い起こすのは、わたくしにとっては、東北であり、現在の福島である。

・内田樹「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』と読む8」
 今回の基本は、「「外に出る」というふるまいは、手持ちのいかなる判断基準によっても正当化できない」こと、「「内」の言葉によって記述できない。それは「出来事」でなかれなばならい」ということである。
 これが、「一神教」に踏み入ることへと展開されている。

 注目すべきは、一神教とは多神教への反対概念ではなく、偶像崇拝と対照すべきものであるという点である。これは、重要な指摘である。

・来住英俊「宣教学・事始め7」、「(7)宣教Aと宣教Bは循環するか?」

 循環するはずの、あるいは循環すべきものが、循環していない、という点についての分析・考察がポイント。ここから何が見えてくるか。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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