死、個体性、そして不安

 最近の傾向として、明け方にさまざまなことをとりとめもなく考えることがある。これも、今回メモしたのは、そんな思考の一つである。

 死は人生最大の問題であり、不安とともに思索の源泉でもある。この不安は何なのであろうか。ハイデッガーや波多野を参照することによって一定の答えを得ることはもちろん、可能である。しかし、ここでは素朴にアプローチすることにしたい。

 不安は個体性またその意識を密接に結びついている。
 人間において、個体性は共同性・関係性と循環し、両極性をなしている。これは進化論的枠組みを使えば(ティリッヒの生の次元論でもよいが)、生命と心の次元の個別性の問題にほかならない。まず、自己複製メカニズムを組み込んだ個体性とそれを神経ネットワークを介して、次に自己参照性が生じる。人格的な同一性が時間性のカテゴリーにおいて成立すること(可能性の現実化という枠組みを導入すれば、目的論とも結合できる)、ここに人間が死を意識するときに、不安を感じることの前提構造が認められる。概略は、おそらくこうしたことであろう。

 さて、以上の個体性を完結性として解釈するとどうなるだろうか。ここから、思索をさらに進めるには、思考実験が有用になる。
 たとえば、コンピューターは心を持ちうるか、あるいは心は物質的基盤からいわば情報として(パターンとして)分離しほかの基盤に移動可能かなど・・・。有機体的個体としての人間にはこうした移動は困難とも思われるが、どうだろうか。またコンピューターの個体性はそれ自体有意味な概念であろうか。おそらく、コンピューターも心をもつには、まず生命を実現することが先決ではないだろうか。つまり、生きたコンピューターである。ここで再度、生命とは何かという問いが浮上することになる。

 思索は続く。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR