知を起点にして

 知は、あらゆる学にとってその存在形態に関わる重要事項である。哲学的伝統は、そこに知の典型的な事例を見出すことができるという意味で注目すべきものと言える。

 たとえば、カントとヘーゲル。
 カント:知とは限界づけること、境界を画定することである。現象と物自体。
 ヘーゲル(あるいはドイツ観念論):知とは存在形態の問題である。主観(S)と客観(O)との関係であるとすれば、その目的は両者の合致、つまりS=Oとなる。

 これは、宗教的知にも、当てはまる。
 宗教的知とは、神と人間の絶対的な質的差異性の認識である。
 宗教的知とは、神に成ること(神化)、あるいは神との合一である。

 こうした知の著しく対照的な理解の仕方は、さまざまなヴァリエーションにおいて観察可能であるが、最大の問題は、両者は排他的ではないことである。ここに、時間軸を設定するか(プロセスとなる)、あるいは論理構造設定するか(論理的な弁証法となる)で、さらに次の段階へと思索は進展することになる。

 以上は、前回の「研究メモ」と同日・ほぼ同時刻の思考の戯れである。
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