アガンベン・メモ8

あけまして、おめでとうございます。
 2016年の最初のブログ記事をお届けいたします。
 なお、すでにお知らせしたとおり、1月2日、1月3日、1月4日の分も、合わせて、アップいたします。
 今回は、ともかく、まとめてアップするだけにし、旅行先で修正可能であれば、少し手を入れますが・・・。
 
2 口述と書記
「聖ベネディクトゥスの会則とともに、それがそこから派生してきた『教父たちの規則』にあってような口述と書記のあいだの緊張は終焉を迎える。規則はいまではもっぱらテクストであり、最後の章はそれを「記述された規則」として規定している」(99)
「聖ベネディクトゥスまでは口述と書記とのあいだに立てている弁証法の意味は何なのか。」「規則のテクストの特別なステータスを構成することが問題になっているようだ」
「これらの次元のいずれにも包括されることがなく、規則がそれらの次元のあいだに打ち立てる緊張のなかにのみ自らの本来の真実を見いだすことができるような何ものかなのだ。書かれた言葉でもなく肉声でもなく、法典でもなく生の実践でもなく、規則はこれらの両極のあいだを不断に行き来しながら、まさしく定義することが問題となる完璧な共同生活の理想の探求へとおもむいていくのである。」(100)
「朗読と規則を実行に移すこととは、余すことなくただちに一体化する。彼に規則を読むよう指示する規則を朗読するとき、朗読者はそのままに、規則を行為遂行的に実行している。すなわち、彼の朗読は、実行と一致する規則の言明、自らが従わなければならない命令と見わけがつかなくされている遵守の規範的な要求を実現するのである。」(103)
「口述と書記のあいだの弁証法は、ここでは完璧である。書かれたテクストはある。だが現実には、それは書かれたテクストからなるものの朗読をとおしてしか生きない」、「規則の毎日の朗読を「使用に移す」ことと定義することで、規則が示唆していること」、「文書はそれ自体としては不活性であり、朗読をとおして「使用に移され」ねばならない」
「レクティオー[朗読]とメディターティオー[暗唱]は二つながらに規則にとって構成的な要素をなしており、規則のあり方を定義しているのである」(104)
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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