アガンベン・メモ14

アガンベン・メモも14回目で、ジョルジョ・アガンベン『いと高き貧しさ──修道院規則と生の形式』(みすず書房)の最後まで到達しました。ここからいかなるアガンベン論を展開するかは、メモの課題ではなく、次の作業になります。それについては、本ブログで紹介することになるかは未定ですが、2016年度の講義において一定の形を示すことになる予定です。ともかくも、メモをとるというのは、議論の素材を整える基礎作業であり、かなり重要なものです。

「閾」

「フランシスコ会の使用の理論で欠落していたのは、まさしくオリヴィのテクストが暗に要求していたように思われる、生の形式という観念との連関を思考する試みである。
"altissima paupertas"[いと高き貧しさ]が"usus facti"[事実上の使用]の概念と結びつくことによって、その中心性を喪失し、たんに法権利に対して否定的な性格をもたされて終わってしまったかのようであった」(194)、

しかし、もし法権利の外にある生が、物をけっして所有することなく使用する生の形式として定義されるとしたら、その生とは何なのだろうか。そしてもし使用を、所有に対して否定的にのみ定義することをやめるとしたなら、使用とは何なのだろうか」(194-195)
「使用と生の形式との基本的なとながりの問題」

「オリヴィにおいて西洋キリスト教社会の極限的な生の形式として提示されているものが西洋社会にとって今日もなお意味をもつのか、意味をもつとしてどの程度までなのか、それとも、逆に、活動性本位のパラダイムの惑星的な支配が決定的な対決を他の地盤に転位させることを要請しているのかどうかは、新しい展望のなかで対決を再開することから出発してはじめて、決められうるだろうということである。」(195)

 この生における「所有と使用」という問題は、環境論を理論的に展開する上で重要な意味をもつことになるだろう。ここで、本ブログのテーマにまさに接続することになる。「活動性本位のパラダイムの惑星的な支配」が何を示唆しているについて了解できるかどうかがアガンベン理解を分けると言うべきかもしれない。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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