「わたしはある」をめぐって

 「わたしはある」は、聖書の思想においても、興味深い問題として、これまで多くの研究がなされてきた。
 一つは、出エジプトの文脈で現れる「わたしはある/エヒイェ・アイェル・エヒイェ」(出エジプト3.14)であり、これは、「ホ・オン」とギリシャ語訳されることによって、聖書的思惟とギリシャ的思惟との接点を構成することになる。この出エジプトの箇所をめぐる問題については、日本でも、有賀鐵太郎『キリスト教思想における存在論の問題』(創文社)と山田晶『在りて在る者』(創文社)を古典的な研究としてあげることができる。しかし、私見では、この出エジプト3.14は、この直後にある「あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主」という関連(これは「神の名」というテーマにも関わるが)で議論することがポイントの一つとされねばならない。これは、「ある」と「である」との、あるいは存在と行為(働き)との連関と解すべきであり、この連関にこそ、聖書的思惟の特徴が現れており、それは、旧約聖書から新約聖書に及んでいるのである。
 もう一つの「わたしはある」は、ヨハネ福音書において繰り返し登場する「わたしはある/エゴー・エイミ」(ヨハネ8.24)である。この「わたしはある」が、ヨハネ福音書の特徴である、「わたしは道である」「わたしは真理である」「わたしは命のパンである」「わたしは世の光である」といった言葉に連関することは容易に読み取ることができるであろう。ここにも、「ある」と「である」との、存在と行為(働き)との連関が確認できる。

 以上から、さらに先へと思索を進めることは何が重要な帰結を予想させる。本日の研究メモはここまでである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR