経済の神学1

 経済に関わる諸問題を「神学」「キリスト教思想」として論じるという問題意識を「経済の神学」と名付けるならば、それは、一方では、その歴史をかなりの長さにわたって辿ることができるとともに、他方では、最近のキリスト教思想に特徴的なものと位置づけることもできる。
 キリスト教思想史においては、古代の教父や中世のスコラ(たとえば、トマス)、そして宗教改革者の経済思想をテーマ的に論じることは十分に可能であり、ここに「経済の神学」を論じることは当然のこととも言える。
 しかし、19世紀以降のキリスト教思想における「経済の神学」は、近代資本主義社会という歴史的現実との関わりにおいて展開している点で、それ以前の「経済の神学」とは質的に区別されるべき問題状況にある。そして、現在の「経済の神学」は2008年のリーマン・ショックを受けたさらに新しい経済状況を念頭にされている点で、単純にそれ以前の延長線上に位置づけることは難しいであろう。

 本ブログでは、環境論との密接な関連性という視点から、比較的最近の「経済の神学」の動向に注目してきたが、科研費による研究が終了するに当たって、文献の整理を「経済の神学」のカテゴリー内で行うことにしたい。

 今回は、「経済の神学」の議論を基礎とも言える古典的な研究をいくつか取り上げておきたい。

・トレルチ『社会教説』(原著は1921年。教文館より、高野先生訳で翻訳が進められており、すでに古代と中世の部分が刊行されている)。初期キリスト教から近代までのキリスト教社会教説の通史的研究であるが、社会教説とは、その中に、家族や国家とともに、経済が含まれており、「経済の神学」にとっても古典的な研究として位置づけられる。

・M・ヘンゲル『古代教会における財産と富み』(原著は1973年。教文館より邦訳出版)。
 旧約・ユダヤ教から、初期キリスト教(イエスを含め)、そして古代教父(クレメンス、キュプリアヌス)までにおける「財産や富み」をめぐる議論についての、この分野の第一人者とも言える研究者による分析。比較的コンパクトな文献ではあるが、「経済の神学」を論じるには、おさえておくべき基礎文献である。

 こうした古典的な文献についても随時データを追加するとして、次回からは、より最近のもので、わたくしが入手したものを整理してみたい。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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