復活をめぐる「宗教と科学」

 「宗教と科学」の関係論は、さまざまな問題に即した議論を行ないことが可能であるが、「復活」「終末」というキリスト教思想の根幹に関わるテーマは、困難ではあるが、避けて通れない問題であることは疑いない。これに正面から取り組んだ論集の邦訳(『死者の復活──神学的・科学的論考集』日本キリスト教団出版局、2016年)については、すでに本ブログで紹介済みであるが、その後、この論集を書評する関係で、きわめて重要な論集であることがわかったため、原著を入手した上で(邦訳を本格的に論じるには、しばしば原著が必要になる)、再度、紹介することにした。

Ted Peters, Robert John Russell, Michael Welker (eds.),
Resurrection. Theological and Scientific Assessments,
Eerdmans, 2002.

 本論集の基本的な構想・特徴については、ピーターズによる「序論」「第四部4「復活:概念的挑戦」」と、ほかの二人の編集者の論考を含めた「第一部:復活と終末論的信頼性」を読むことによって、理解することができる。
 本論集の問題設定は、「復活」という問題をめぐる「神学的」と「科学的」という二つのアプローチの積極的対論に特徴があることは容易に読みとることができるが、18本の論考で論じられる諸問題は多岐にわたり、論考の性格も多様である。しかし、おおざっぱに言えば、次のようにまとめることができるだろう。

・復活における「体」の問題:この「体」の復活がキリスト教的復活理解の基本であるとすれば、それは、「復活前の体」と「復活後の体」との関係が問われねばならないことになり、それが現代科学(生物学的)との関連でいかに理解できるかが問題になる。これは、本論集において反復される「連続性と非連続性」という問いになる。この関係についてのポイントは、「霊の体」の理解と、「復活後の体」が「古いものからの再創造」(「無からの創造」とは異なる、また自然的なプロセスにおいて可能になったものではない。つまり恩恵・贈与)であることにある。
・「体」における復活の対極にあるのが、現代科学において構想される「サイバネティックス的不死」であり、これは「魂」とは何かという問いに関わる。つまり、「人格」とその「同一性」の問題である。
・神学的議論において基礎に置かれるのは、当然聖書テキストであるが、現代の聖書解釈の状況を考えれば、組織神学者がしばしば行う聖書神学的読解と聖書学的読解との関係が問題にならざるを得ない。本論集は、この点が弱い。
・復活が終末的出来事に関わるということから、問題は、科学的宇宙論の描く宇宙の未来像(熱的死)とキリスト教的終末論との関わりに及ぶことになる。この問題との関わりで「復活」を論じる際に、「神の記憶」という議論が浮かび上がってくるが、ここで議論は、良くも悪くも思弁的な問題に及ぶことになる(ホワイトヘッドは思弁的哲学を積極的な意味で提起している)。
・以上のような錯綜した問題領域における議論を進める上で重要なのは、本論集におけるような、多様な専門領域に関わる研究者の共同作業であり、ラッセルが「第一部の1」で提示するような研究プログラムである。ナンシー・マーフィーの仕事もこれに関連している。

 この論集に相当する作業を日本で行ったとすれば、どうなるだろうか。どのような仕方で可能だろうか。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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