政治神学の基礎文献3

 政治神学の基礎文献(政治神学そのものではなくても、関連する基本的な文献)と言えるもので、わたくしの手元にあるものを整理する作業を行っているわけであるが、アーレントやアガンベンなど、文献の数が多いものは、その扱い方自体を考えるとして、比較的まとめ安いものから、取り上げるという方針でゆきたい。

 現代の政治神学を考える上で留意すべきことの一つとして、「キリスト教とマルクス主義」の対立図式の問題がある。1970年代以降の、とくに、ヨーロッパでの議論を見る限り、単純なこの対立図式は再考すべきであるとの印象が強い。それは、キリスト教思想の側でも生じている動きであるが、何よりも、マルクス主義系の思想の新な動向からうかがえることである。たとえば、ハートとの共著『帝国』あるいはマルチチュードで日本でも有名になった、アントニオ・ネグリである。

 ネグリについては、マルクス主義の変革や現代世界論という点で、多くの文献がすぐに思いつくであろう。わたくしの手元にある範囲でも、それなりの数になる。
『マルクスを超えるマルクス 『経済学批判要綱』研究』(作品社)
『戦略の工場 レーニンを超えるレーニン』(作品社)

『〈帝国〉をめぐる五つの講義』(青土社)
『マルチチュード 〈帝国〉時代の戦争と民主主義 上下』(NHKBook)

 などである。しかし、ネグリの思想は、キリスト教思想ともふれあっている。少なくともネグリは彼なりに聖書を正面から受け止めている。典型的には、獄中での聖書読解が生み出した次の文献である。
『ヨブ 奴隷の力』(世界書院)
 「ヨブの体験のおかげで、多くの建設的な人たちが七〇年代に運動にコミットし、九〇年代の終わりから21世紀にかけて反グローバル闘争を闘うことになったのである。」(9)
「古代のキリスト教の教父たちがヨブの内に認めたキリストの予示がその点で重要であったかを理解できる。」(20)

 これは、このやや特異な文献だけのことではない。たとえば、上に挙げた、『マルチチュード 〈帝国〉時代の戦争と民主主義 上下』の上巻には、「悪魔的マルチチュード──ドストエフスキー、聖書を読む」というコラムが挿入されている。
 「新約聖書に出てくるよく知られた「悪霊にとりつかれたゲラサ人」」の話」は、「このマルチチュードの悪魔的な側面に光を当てるものだ。」(230)
 この議論を、新約聖書学者クロッサンのものと重ねたらどうなるだろうか。聖書は、マルクス主義とキリスト教思想との共有財産と言うべきかもしれない。

『マルチチュード 〈帝国〉時代の戦争と民主主義 上下』の下巻に収録の「偶像破壊者たち」ではこうなる。
 「これらの新しいビザンツ帝国式権力に対し、私たちは東方教会の神学者ダマスコのヨハネ」「のように反対の叫び声を上げなければならない」、「論争は明らかに神学用語を使って行われはしたが、そこでは争点は実際には権力の形象をめぐる政治的闘いだったのだ。」(218)
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