キリスト教研究の現状

 わたくしは、今年度の特殊講義(二つある内の一方)において、現代キリスト教思想を取り扱っている。前期は、弁証法神学から1970年代あたりまで、後期は、1980年代から2010年代を扱う予定である。昨日、バルトを2回かけて終了に、来週からは、ブルトマンを論じるというスケジュールであるが、その準備を進める中で、改めて痛感するのは、日本におけるキリスト教研究の現状である。
 現代キリスト教思想で、しかもブルトマン。日本でも専門研究がそれなりの質と量で存在していることが期待されて当然と思うわけであるが、現状はどうだろうか。

 ブルトマンについての入門的な文献(「人と思想シリーズ」)と言える、笠井恵二『ブルトマン』(清水書院、1991年)の参考文献を見ると、翻訳書のリストは、さすがにきわめて充実している。『ブルトマン著作集』(全15巻、新教出版社)をはじめ、ブルトマンの主要文献は、日本語で読むことができる。しかし、問題は、研究書である。ブルトマンは、著名な20世紀を代表する新約聖書学者であり、ブルトマンに言及したり一定適度の紙幅(大きな論集の内のせいぜい数章をブルトマンに充てる)で論じるという例は少なくないものの、ブルトマンのまとまった専門研究となると、50年前に出版された、熊澤義宣『ブルトマン』(日本基督教団出版局。増訂版)などが存在するだけである。
 この現状は、ブルトマンのEntmythologisierungについて、「非神話化」という訳語がほとんど何の疑問もなく定訳化している点に端的に現れている。

 この日本におけるブルトマン研究の状況は、日本のキリスト教研究の現状を象徴してはいないだろうか。研究者の層の全体としての薄さは致命的であるとしても、研究テーマがあまりにも偏っており、しかも研究テーマをじっくり掘りさげるということが困難になっている、日本のキリスト教研究は実に多くの問題を抱えている。
 改善できるところから少しずつ取り組んでいく必要がある。

 今年は、ブルトマン歿後40年を迎える(ブルンナーは歿後50年)。ブルトマンは、日本では思想家として忘却されつつあるのだろうか。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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