南原繁演習より8

 今回は、南原繁『国家と宗教』、第2章「キリスト教の「神の国」とプラトンの理想国家」「三 二つの国の綜合の類型=トーマスとヘーベル」の前半(104-112頁)を紹介します(6月13日の演習)になります。
 古代ギリシャ(プラトン)の国家論とイエスの「神の国」との相違を前提とした試みを描き、さらにそれを批判的に分析することが、この節のテーマであり、今回は中世のスコラ的文化総合が扱われます。
 この総合の不可避性を共通見解とした上で、それをどの程度積極的に評価するかにより、多様な議論が可能になるわけです。たとえば、トレルチや有賀鐵太郎に、同様の議論を確認することは十分に可能であり、しかも、類型論という方法論についても、これらの思想家の議論は共通しています(つまり、19世紀の思想史研究・新カント学派を土台とした議論)。
 前回同様に、議論の展開に沿って、まとめます。

1.「二つの国の綜合」
 「ギリシャ主義とキリスト教との相違」「根本的に区別されるべき」ことにもかかわらず、「キリスト教が単なる超絶主義あるいは消極的受動主義に立ちとどまらざる限り、何らかの関係においてふたたび互いに相交渉するところがなければならない。」(104)

2.「教会」の出現
・「交渉の一面」「「教団」あるいは「教会」」の問題。「初代キリスト教」においては、「信仰の団体」、しかし、「現世的生活は関心の外」「独自の生活圏として、他の諸団体および国家組織」に対して、「自らを防禦い、また主張するに至った」。
・「多くの世界的都市を中心とし、互いに連携して勢力を加えて来た」、「かような教団の成立発達」は「神の国と地の国との関係について」「新しい契機をもたらしたこと」(105)
「かような教会組織はギリシャの世界にはかつてなかった」

3.アウグスティヌスからトーマス
・「「神の国」と「地の国」の関係こそは」「アウグスティヌスの『神国論』(De Civitate Dei)において取扱われた課題」、「神の国の地上における具体的実在としての「教会」の概念」(106)、「一般にギリシャ文化とキリスト教との一大綜合が企図されるに至った」、「それがトーマスにおいていかに体系化されるに至ったかは」、「プラトン的ギリシャ国家とキリスト教的神の国との相違が、いかに止揚され、克服されるに至ったかの問題」、「問題の歴史的展開において顕著な第一の類型」会う具すティぬぅイデアの世界へ上昇」「善・美のイデアを共同する人間的文化的関係「中世カトリック教会の立場」(107)

4.「教会」の特質
・「歴史的伝統に基づいて起り、一定の礼典(sacramentum)と司教制度がその組織用件」(107)、「人間霊魂の救済の不可欠の条件」「本来不可視的な「神の国」が、可視的な形態において具体化されたもの」、「単に「見えざる教会」だけでなく、同時に「見える教会」」、「超経験的なものと経験的なものとを融合して、精神的と自然的、永遠的なものと現実的なものとを統一綜合しようとの企図」(108)
   ↓
・「トーマスはじめ中世スコラ哲学に構想」「神の永遠の啓示」としてのみならず、「一つの歴史的=社会的秩序」
   ↓
・「この世界に対してもそれ自らの権威を持つ固有の団体として立ち現われるに至った」(108)
・「国家の権力は神の権威によって承認せられ、基礎づけられることによって、初めて神的価値を担い、神の国に連なり得るのである」、「国家自らは低い秩序として、さらにより高い秩序である地上の「神の国」としての教会に奉仕し、その指導のもとに立つことでなければならぬ」
「教会自らが一つの独自の政治的・法的領域として、自らの権力の支柱を必要とし、この世の上にもその権威を有効ならしめなければならぬわけである」、「ローマ法王の位置は」「以上の権威を具体化したものであり、これを頂点として中世固有の「普遍的キリスト教社会」」の「全秩序が維持せられるのである。」(109)
=「中世的神政政治思想の形式」(110)
・「原始キリスト教からの乖離」
「第一に、各個人はキリストにあって直接、神に結合するのではなく、神とおのおのの人間のあいだには新たに媒介者が入って来た」。「固有の階統的組織の司教制度とその頂点に立つ法王の権威」「ローマの普遍的教会の成員となることなくしては、神の国の世民となり得ない」、「教会の掟に従う勤行が救いへの条件」
「第二に、法王の宗教的な権威は同時にこの世の権威でなければならず、教会は一個の歴史的=現実的な社会組織として独立し、これが地上における神の国としての権利を主張」、「国家の中の国家」(110)
・「プラトンの求めた理想国家」の実現。「プラトン国家の中核である哲人政治の理想政治が、いかにローマ法王の教会政治に相通ずるものがあるかは、極めて興味ある問題」(111)
・「学問と芸術に至るまで、一切の文化がかような絶対的権威のいかに厳格な統制のもとに立たしめられたか。それは「教理の支配」」、「ローマ・カトリック教会は実に古代ローマ帝国の形態を継承発展したもの」、「神の国のローマ化であり、本来純粋の福音に異教的分子、なかんずくローマ的政治的要素の結合されたもの」、「異教的分子はキリスト教の発展に伴って、自らの神学ないし哲学を構成するために摂取された」(112)

5.帰結
「ここにカトリック固有の「教会」概念によって、キリスト教の「神の国」の最も組織的な歴史的展開を見ると同時に、本来それと異なるプラトン国家との対立ないし相違が止揚克服せられるに至った一つの類型を見るのである。」(112)

 以下、コメント
・「類型論」は歴史的現実の図式的理解と結びつく傾向がある。南原の場合も、その後の歴史研究の進展から見れば、かなり荒っぽい議論という評価をなさざるを得ない。アウグスティヌスについて、もう少し立ち入ってテキストの分析を行えば、単純な図式の変更・修正が必要になるだろう。
・特に、ローマ・カトリック教会に関わる議論(哲人政治と相通ずるとか、古代ローマ帝国の継承発展)は、むしろ、東方教会・ビザンツ帝国の方に当てはまるものである。古代と中世の関係については、議論が簡略・単純すぎる。
・「教会」概念をどのように規定するかは、キリスト教理解にとってかなり重要な問題となる。確かに、古代、4世紀のキリスト教会に即した「教会」概念は、一つの有力な教会概念理解となっているわけであるが、その場合に、日本や東アジアには、未だに教会は存在しないという帰結になりかねない。もちろん、それで良い、まさにそうだという立場に立つのならば、議論はそれまでではあるが。
・原始キリスト教理解が、過度に宗教改革的ではないか。
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