南原繁演習より9

 今回は、南原繁『国家と宗教』、第2章「キリスト教の「神の国」とプラトンの理想国家」「三 二つの国の綜合の類型=トーマスとヘーゲル」の後半(113-120頁)を紹介します(6月20日の演習)になります。
 古代ギリシャ(プラトン)の国家論とイエスの「神の国」との相違を前提とした試みを描き、さらにそれを批判的に分析することが、この節のテーマであり、今回は前回の中世のスコラ的文化総合(トマス)に続き、近世プロテスタントの文脈におけるヘーゲル(類型)が扱われます。

 中世から近世を繋ぐ議論として、ルネッサンスと宗教改革について簡単に触れた上で(113)、ヘーゲル=第二の類型が、「近世のプロテスタント哲学の側からあえて企てられた解答」(114)として論じれます。議論は、次のような構成なります。
・ヘーゲルにおける綜合の概要(114-117)
・ヘーゲル的綜合の批判(117-118)
・ヘーゲル的綜合の崩壊(119-120)

 ポイントは以下の通り。

1.「ヘーゲルにおける綜合の概要」
 「ヘーゲルにおっては、国家は単に精神の外郭にとどますものではなく、それ自ら「絶対精神」の原理に従って行動し、教会をまつまでもなく、直接に、自らその市民の宗教生活について、神の精神にふさわしく訓育すべき使命を有する」(114)、「国家は客観的精神の最高形態として、人倫の統体──倫理的精神の完全な形態である」、「理性的な具体的普遍である」。
「国家は神的絶対精神の具体的実現として、地上の神の国である。」
「国家はその根拠を宗教自体において求められ、政治と宗教とは完全に綜合されてある。」「いまや教会の権威の媒介によらず、人間の自己意識における啓示として、新たに人間精神の自由を出発していることである」、「絶対精神・神的理性の自己発展」(115)
「国家はそれ自身文化の統体である。けだし、近代国家の最高の精神的基礎づけ、その宗教的神聖化と称すべく、中世カトリック教会に代って近世国民国家が精神的万能をもって現われたのであり、それは取りも直さず、古代国家理想を新しくキリスト教精神によって生かそうとするものと解せられる」。
「国家の精神は英雄的支配者において表現せられ、・・・「世界史的偉人」の心内に啓示され、彼は世界の発展の必然的最高の段階に打ついて識り、よくそれを自己の目的として実現する物でなければならない」(116)
「プラトンの国家理想は、近世に至ってルソーを通して、ドイツ理想主義国家哲学に流れ込み、カントに出で、ヘーゲルに至って近代的完成を遂げ、新しく近世キリスト教の原理と結合されたのである」(117)。

2.「ヘーゲル的綜合の批判」
「キリスト教の「神の国」の理想とのあいだに、ふたたび」「大なる隔絶」、「「神の国」の合理的な政治的組織化」、「神の国は本来「愛の共同体」としての特質を喪失し、いまや、さながら国民国家的な一個の政治的王国へと転落する」(117)。
「国家の「絶対性」の故によって、彼以後ドイツを中心として結成せられた国家万能の主張と反動思想に対して、彼自ら責任があると言わねばならぬ」。
「すべての国民は世界歴史の審判のもとに立ち、もっぱら世界精神がこれを決定するのである」、「世界精神が個々の民族精神を超越して第三者として外部に独立して存在するというよりは、結局、世界精神とはその時代の精神を担って立つ特定の民族精神のことであり、ヘーゲルにとっては、すなわちゲルマン民族国家にほかならない」(118)。

3.「ヘーゲル的綜合の崩壊」
「絶対的観念論に対して、やがて極端な反動が起った」、「「精神」の哲学も」「まもなく分裂と崩壊の運命をたどるに至った」。
「ヘーゲルにあって神的な絶対的世界精神として考えられたものが、単なる人間の発展と成り、・・・その物質的経済的存在の方面のみが強調され、しかも、かような人間の物質的存在の関係、すなわち経済的生産関係が、本来精神の運動である弁証法を、こんどは自分の側にひきつけ、自分自身の発展に利用するに至った」、「マルクスおよびエンゲルスの経済的唯物史観」(119)
「その哲学は実に宗教哲学を問題として分裂した」、「ヘーゲル左派に属するフォイエルバッハを通じて」(119)
「「神の国」の観念が新たに人間の自由と平等の共同体である共産主義社会に置き換えられたあり」(119-120)
「本来キリスト教的観念の摂取および変容なくしては、また彼らの世界観を構成し得なかったところである」、「その世界観ないし哲学が極めて皮相、かつ一面的であって、その共産主義理想社会は根底においてキリスト教の理想といかに隔絶するものであるか」、「それはもはや「神の国」の価値転換であると同時に、プラトン国家理念の廃棄である」(120)。

 以下、コメント。
・今回のヘーゲル批判は、ヘーゲル以降のカント主義というべきものだろうか。
・ゲルマン民族国家への批判は、当然ナチズム(全体主義的国家)が念頭にあるとして、当時の日本に対する批判という含意をどの程度読み取るべきか。

 前期の演習も、第2章も完了間近であり、いよいよ大詰めです。後期は、10月からですが、第3章から始め、第4章まで行い、『国家と宗教』は読み上げることになります。わたくし自身は、この間に、南原に関連した論文を一本書く予定です。
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