聖霊論と京都学派

 京都大学文学研究科の思想文化系(旧哲学科)に勤務していると、どうしても気になるのは、京都学派の存在である。わたくしは、その点を比較的気にせずに研究を行ってきた方であると思うが、それでも、キリスト教思想と京都学派とのかかわりは、さまざまな機会に考えさせられるテーマである(このテーマでエッセイのようなものは書いたことがある)。
 武藤一雄先生は、歴代教授の中でも、このテーマにもっとも集中的に取り組んだ方であるが、晩年、聖霊論という問題において、キリスト教思想と京都学派(の宗教哲学)とのかかわりを追求されていた。実際、聖霊論は、現代キリスト教思想の新たな展開を考える上で、しばしば注目される問題である。環境論、宗教間対話、ファミニズムなど、さまざまなテーマについて、聖霊論にそのヒントをもとめる傾向が見られる。この場合に対比されるのが、キリスト論であり、20世紀前半から中頃がキリスト論を中心に展開したのに対して、1970年代以降、聖霊論が注目されるようになってきた。もちろん、この点については、それ自体として考えるべきものと思われるが、先日、送っていただいた次の論文抜刷を見ながら、改めて、この問題を意識させられた。

栗田英昭
「キリスト教の聖霊論的理解──武藤一雄の神学的宗教哲学を中心として」(西田哲学研究会『場所』第13号、2014年、33-48頁)
「ティリッヒの聖霊論とその場所論的理解の可能性と必要性」(『場所』第14号、2015年、53-74頁)
「植村正久における霊性と場所論的理解」(『場所』第15号、2016年、21-42頁)

 武藤一雄、ティリッヒ、植村正久、いずれも、わたくしの研究に密接に関連した思想家たちであり、このように繋がってくると、たまたまではないような気がしてくる。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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