「ポストモダン」批判に向けて

 ポストモダンが「モダン」以降という意味で用いられるだけならば、それだけのことであるが、現在の「ポストモダン」という用語法にはさまざまないかがわしさを感じるのは、わたしだけだろうか。「ポストモダン」という言説自体を批判的に解体する必要があるようにも思われる。その作業をどこから始めるかであるが、このような点からすぐに思い浮かぶ人物、スラボイ・ジジェクを参照するところから、初めてはどうかと考えている。ジジェクは、本ブログでも以前にかなり取り上げた記憶のある人物であるが、たとえば、『ポストモダンの共産主義──はじめは悲劇として、二度めは喜劇として』(ちくま新書)はどうだろうか。コンパクトな文献であり、しかも比較的読みやすい内容である。
 今回は、原著で目次を示しておこう。

Slavoj Žižek,
First as Tradedy, Then as Farce,
Verso, 2009.

Introduction: The Lessons of the First Decade

1 It's Ideology, Stupid!
Capitalist Socialism? --- Crisis As Shock Therapy --- The Structure of Enemy Propaganda ---Human, All Too Human...---The "New Spirit" of Capitalism --- Between the Two Fetishisms --- Communism, Again!

2 The Communist Hypothesis
The New Enclosure of the Commons --- Socialism or Communism? --- The "Public Use of Reason" --- ...in Haiti --- The Capitalist Exception --- Capitalism with Asian Values ... in Europe --- From Profit to Rent --- "We Are the Ones We Have Been Waiting For"

 原著の表表紙には、 "The most dangerous philosopher in the West" New Republic とあるが、どうだろうか。 
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