『図書』 から

『図書』 2016. 9 (岩波書店)が届きました。

 今回は、宗教あるいはキリスト教思想に関わる論考はあまり見出すことができなかったが、次のエッセイは、きわめて興味深いものであった。

・中嶋隆博 「鈴木大拙と日本的霊性」 (2-6)
「今年は鈴木大拙歿後五〇周年にあたる」。
「ライアン・ヴィクトリア『禅と戦争』」
「日本的霊性の考え方が、当時に日本精神の競い上げて普遍化する言説への対抗であったことは明らかである」、「内村鑑三の「日本的基督教」」
 ここまでの、議論も、わたくし自身の大拙への関心(日本的霊性、無教会的ま日本的基督教、戦争)と重なって興味深いが、さらに示唆的であったのは、次に部分である。
 「『日本的霊性』はもともと五篇構成で、第五篇は「金剛経の禅」と題されていた」が、大拙は「戦後その篇を除いて出版したので」、岩波文庫も大拙全集も、「四篇構成のものが採用されている」。
「「日本的霊性」を有しているのは浄土と禅であると言っているにもかかわらず、第四篇まではほとんど浄土からみた「日本的霊性」で」ある。「なぜ大拙は第五篇を除いたのだろうか。わたしが考えていたのは、禅と霊性がうまく接続しないからではないかというものであった」、「大拙は第四篇までの論述で、浄土をより農民的と考えており、禅は武家的なものと考えていた。そうであれば、「日本的霊性」はどこか禅とずれてしまう何かがあるのだろう。」
「西田幾多郞」との「違い」。

 『日本的霊性』における、その構想(日本的霊性の具体化としての禅と浄土)と、実際の論述(四篇構成の場合)のズレという問題は、大拙についてしばしば指摘され、議論されてきたものであり、わたくしも、論文で触れたことがある。たしかに、禅と日本的霊性のズレという議論はその点で理解できるものである。
 しかし、さらに考えれば、「日本的霊性」の「日本」と「禅」あるいは「武士」との関係が問題にされねばならないのだろう。
 また、禅と戦争、日本仏教と戦争という問題は、仏教思想において、大きく問われている問題であり、批判的議論は少なくない。

・高村薫「作家的覚書」:「少数派の独り言」 (47)
「与党とその補完勢力で3分の2を超える議席を獲得する結果となった先の参議選」
「憲法は時代に合わせて変えればよい。憲法前文の主語が国民から国家に変わっても大したことではない。それよりもとにかく景気対策を! こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてはいるが、何であれ時代の大きな流れをふくり、自ら呑み込まれてゆくのが多数派というものだろう。」
「それでもわずかばかりの理性ゆえに、少数派はなおもこの眼差しを捨てることができないのだが、筆者にはいま、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。」(47)

 率直な感想か。現在の経済政策が「景気対策」になっているかについての実証的なデータに基づいた議論ができないという点が問題であろうし、分析すべきことは少なくない。しかし、「理性ゆえに」が弱いのかもしれない。
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