キリスト新聞から

キリスト新聞(第3410、2016. 9. 3) が届きました。異例の台風が過ぎ、季節は一歩前に進んだ感じです。9月になると、まずは、学会、そして後期授業開始と、慌ただしくなってきます。こうした中で、さまざまな所用が交錯しますので、のんびりしはしていられません。

<第一面>
「世界宗教者平和会議 国際特別セッション」「核なき世界の実現へ」「宗教者・専門家・市民らが協力を強化」
「「預言者の声」上げることが大事」宗教者は対話進める力を有する」
 「スイス・ジュネーブで開かれた核軍縮に関する国連の作業部会で、核兵器の法的禁止を協議する会議を2017年の国連総会で開始するよう勧告する報告書が8月19日、賛成多数で採択」、「唯一の被爆国である日本は棄権」
 「それに先立つ2日~3日、世界宗教者平和会議」主催の「「核兵器廃絶に向けた国際特別セッション」が国連大学」で開催。

 「日本は棄権」ということが、少なくとも、日本政府の平和主義の内実が何かを示している。それははたして、平和のための平和主義なのか(「核兵器の先制不使用宣言」へ懸念を表明する国にとっては、この「懸念」に込められた事柄が本音)。かなり怪しい。日本の平和運動はまずこれをなんとかするところから議論と行動をはじめることが必要なはずである。おそらく、この問題を掘りさげるならば、「日本」についての認識が新たになるものと思われる。

「Headline/ヘッドライン」:
・「米福音ルーテル教会が宣言採択 カトリック教会との合意認める」
・「独カトリック司教協議会の文書 ルターを「信仰の教師」を呼ぶ」
・「首相・閣僚の靖国神社への関わりに日基教団北海教区が抗議声明」

<第二面>
「Topics/トピックス」:
・「社会」:「〝福島は沖縄の抵抗から学ぼう〟」「「平和旬間」に神田香織氏が講演披露」
 「「日本カトリック平和旬間」の初日」「8月6日」「カトリック麹町教会ヨセフホールで「呆れ果てても諦めない──福島や沖縄から学ぼう」と題して講演会」が行われた。「登壇したのは講談師の神田香織氏」。

 「沖縄に学ぶ」とは。それは、国家は国民を切り捨てることがあるという現実を直視し、そこから長期の展望を切り開くということだろうか。

・「社会」:「摩擦越えイエスを主とする世界を」「同盟教団8・15平和祈祷会に星出卓也氏」
 日本同盟基督教団「教会と国家」委員記亜、8月15日、中野教会で、8・15平和祈祷会を開催。星出卓也氏が、「国のものか、キリストのものか──戦争と社会儀礼・教会が克服すべき宿題」と題して講演。

 さまざまな動きを、束ねる仕組みが必要ということだろうか。

・「映画」:「マザーの列聖で「映画祭」再び」「東京都写真美術館ホール トークショウも」
 バチカンから今年3月、聖人に認定されたマザー・テレサ。命日(9月5日)の前日に行われる列聖式に合わせて、9月10日~30日、「列聖記念 マザー・テレサ映画祭」が開かれる。

 マザー・テレサ、高山右近。話題は多くある。

・「映画」:「『神様の思し召し』公開」「天才外科医とカリスマ神父の交錯」 
 「「『神様の思し召し』」は、天才外科医とカリスマ神父の対決と和解を描いて観客を終始笑いの渦へ誘う良質のコメディ。
 新宿クシネマカリテほか全国順次ロードショー。

 「Satellite/サテライト」:
・「「平和のための宗教者の使命」 司教協議会が小冊子発行」
・「相模原殺傷事件受け 教団・大学がコメント」
・「キリスト教学校就職志願者へ 西南学院中高でガイダンス」
・人事「日本キリスト教海外医療協力会」
・移転「日本キリスト教海外医療協力会東京事務所」
・移転「日本キリスト者医科連盟事務局」

<第三面>
・「終活:なんでも相談室Q+A」
Q:「「四十九日」「一周忌」をどう考えるか?」
A:「故人の記念会は期待と喜びをもって」
 今回のお相手:青木義紀さん(日本同盟基督教団和泉福音教会牧師)

 記念会の意味については、それほど明確な議論が存在するわけではないだろう。葬送儀礼に関連しては、その重要性に比して、あいまいな仕方で行われている。これでよいのか。確かに問題である。

・服部弘一郎(映画評論家)「映画(スクリーン)の中のキリスト教」
 「神なき時代のキリスト教映画(12)」:「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」(1981年)
 「むし出しの暴力を振るう古代人たちの神」

 「インディ・ジョーンズ・シリーズの1作目」「十戒の石版を納めたアークの存在は、この映画によって広く意識される存在となった」
 「映画に登場するアークの何という恐ろしさ」「こうした描写は映画の創作ではなく、ほとんど聖書に書かれていることの再現」「旧約聖書の記述」「この映画は古代の神が持つそんな荒々しい性格を、現代に甦らせている。それはキリスト教徒が思い描く神の姿とは似ても似つかぬように見えるかもしれないが、まぎれもなく「聖書の神」のひとつの姿なのだ」

 またまた、懐かしい映画。聖書の神が古代の神であることは、十分に認識すべきことである。近代人の感覚を投影し読み込むと多くの誤解を生じることがある。聖書は人間の物語という点では、まさに古代。
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 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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