南原繁『国家と宗教』6a

 南原繁『国家と宗教──ヨーロッパ精神史の研究』の補論「カトリシズムとプロテスタンティズム」の「六」の1回目、冒頭を紹介します。「六」は、「五」の宗教改革からカントに至る精神史における政治哲学の議論をさらに、哲学的に理論的展開する課題に関わっています。新カント学派に基づく価値並行論から形而上学へと理論展開が必要であることが示唆されることになりますが、これは、南原の哲学構想を越える問題になると言うべきでしょう。
 まず、今回の冒頭部分では、これまでの、特に「五」の内容の必要な範囲での確認が行われます。

「哲学あるいは世界観の体系の問題は「個性的」」「現代の人類と世界に共通する文化内容を組織化することは不可能である」、「しかるに、カトリシズムはまさにこれを目ざして、人類全体を包括するキリスト教文化組織と普遍的な神学的世界観を要請し」「人類全体を具体的な精神的統一体と解するところに形而上学的独断が存する」(385)
「近世は」「それぞれの固有の仕方において、文化の綜合と統一的体系の樹立に専念して来たのである」、「なかんずくドイツ理想主義哲学の発展」、「カントに始まりヘーゲルにいたる」、「それらはいずれも、プロテスタンティズムの上に立ちつつ、新たな宗教と文化との綜合の問題を、中世スコラ哲学とは異なる方法によって、解決しようとの哲学的努力にほかならない。」
「宗教改革が原始キリスト教に立ち還ることにより、中世のごとき宗教の政治化ないしは合理化に対して、宗教の独立に決定的転回を与えたことは重要な意義であるが、そのことは決して宗教と文化との断絶を意味するものではない」(386)
「新たな宗教的生命をもって、人間と世界とにまったく新しい意味と価値を与え、その実現を要請しなければやまない」、「キリスト教の成立によって生じた一切「価値の転倒」または「価値の転換」は、在来の文化と価値の永遠の否定ではなくして、否定を通しての新たな肯定でなければならぬ」、「「心情」「良心」の道徳」「「信仰のみによる」道徳」(387)
「一般に世間生活への喜ばしい肯定と活動」「新たな文化の価値の創造」「文化の「自律」」の意義」、「文化の負荷者あるいは主体はいまや個性であり、文化価値に対する個性の自由な程度が根底にある。かような自由は、もはや近代自由主義のごとき自由ではなく、超個人的な自由、精神の自由であり、かような自由に裏づけされて、初めて文化の自律が可能となるであろう」(388)
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