聖書学の位置づけ

 キリスト教研究にとって、聖書は基本中の基本文献である。本ブログで論じているように、自然神学を社会科学へ拡張し、その際に聖書のテキスト解釈(から教会教説)を媒介項として位置づける場合には、なおさらである。したがって、聖書学の動向には可能な範囲ではあるが、注意を払い続ける必要がある。しかし、聖書学の動向はもちろんすべてがそうというわけではないが、日々動くものであり、数十年単位で見ると、学説は大きく変化することは当然生じることであり、思想研究が、それにどの程度まで、どのような仕方で依拠するかは、技術的にも原理的にも容易な問いではない。(とはいっても、方法論的な考察に基づく一定の方針は確立する必要がある。)
 わたくしとしては、思想研究は、現在の聖書テキストの基本的な形が成立した以降から、議論をスタートし、テキストの成立過程の段階については、基本的に括弧に入れる(つまり、聖書学にお任せする)、というのが適当と考えている。つまり、現在、普通に流通している聖書テキストから議論を出発し、適宜、聖書学的議論を参照するという形である。
 たとえば、使徒言行録の2章42~47節のM・ウェーバーが「愛の共産主義」と呼んだ事柄は、聖書学的歴史学的には、その事実性あるいはテキスト成立が問われねばならないであろう。「ヴェーバーのごとく「愛の共産主義」を史料として扱うことには慎重でなければならない。」(荒井献『使徒行伝 上巻』 新教出版社、1977年、193頁)
 こうした問いはもっともであるが、思想研究においては、この出来事を参照することによって、キリスト教思想がその後ごのように展開したのか、たとえば、これが、20世紀の宗教社会主義や解放の神学においてどのように読まれ、いかなる思想を生み出したのか、といった議論が重要になる。
 聖書学の動向は重要であり、それは常に参照されねばならないが、聖書学の動向に過度に依存するという姿勢は十分ではない。また、聖書学の議論を、そのまま現代に直結させるのも、短絡的で乱暴である。

 先に引用の信徒言行録の注解であるが、1977年に上巻が刊行され、今年、ようやく完結した(その間、『福音と世界』への連載が行われた)。聖書の注解書は毎年次々と企画され、把握出来ない規模で刊行される。しかし、一定以上の高い学問的水準における注解書を刊行するのは(新教出版社刊行の現代新約聖書註解全書は、貴重な試みである)、きわめて長く大きな努力が必要であって、使徒言行録の注解の完成を祝いたい。

荒井献
『使徒行伝 上巻』 1977年。
『使徒行伝 中巻』 2014年。
『使徒行伝 下巻』 2016年。
新教出版社。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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