南原繁『国家と宗教』6b

 南原繁 『国家と宗教──ヨーロッパ精神史の研究』 の補論「カトリシズムとプロテスタンティズム」の「六」の2回目です。
ルター(宗教改革)とカント(ドイツ理想主義)のラインにおける、意志の自律性に基づく、個人の自由・人格の理念が、歴史的具体的な共同性(国家・民族)の形成に至ることが、今回の議論の骨子であり、南原の政治哲学の中心と言える内容である。その際に、歴史的なルター的伝統が宗教改革の理念について不徹底であった、イエスの神の国に遡及することなどが触れられる。
 こうした中で重要なポイントは、ここでの議論の内容が価値並行論の要点であり、それが形而上学的思索を要求するということである。
 以下、抜粋。 

「重要なのは、各個人の心情・良心において神的生命と直接に結合すること」、「一切の外的権威に対して内面的独立を保つこと」、「深く人間個性の魂の内奥において行われる超経験的事実」(388)
「現在、危機の神学」
「終末論的信仰によって、一切文化から宗教の分離を主張する」、「キリスト教と文化との関係は永久に切断されて」「「福音主義神学」は単なる「狂信的敬虔主義」となり、文化の領野は浅薄化せられ、ついに荒廃に帰する」
「ルッター的信仰の半面」「文化は決して生の外郭の出来事ではなく、深くわれわれの精神の全体生活のなかに入り込んだ事柄であり、世間的=文化的形成の努力との闘いにおいて、われわれの宗教的内面性は現実性と確実性を取得する」(389)
「文化の新たな形成の力の源泉は無限の精神的生命であり、かようものとして、それは揚人間的「事実性」である」、「根本事実の体験」(389)
「「自律」の概念は、ヘーゲルでなくして、かえってカントにおいて見だされると思う。ただ、カントにあっては、宗教があまりに合理主義的、かつ道徳的に把握されたところに難点があった」、「「意志の自律」と宗教固有の神的意志とが、いかにして連繋されるかは確かに一つの問題たるを失わない」
「意志の自律は」、「高き精神的自我への高揚にほかならず」、「直接に超個人的な無限の神的意志を自己の本質として承認することにほかならず」、「それがまさに宗教固有の意味であり、宗教的神秘に属する事柄でなければならない」(390)
「キリスト教における神性と人間性との本質的結合にほかならない」
「文化は単に人間的作業たるにとどまらないで、精神的生の建設は、宗教よりみれば、もはや神性に属し、神的命令と義務にほかならぬ」、「われわれの宗教的信仰と文化的活動とは」「「無関係」や「没交渉」では決してなく、プロテスタンティズムの立場においても、否、その立場においてこそ、より内面的に結合せられ、信仰から文化に対してより積極的に働きかける生々しい力を有し来るであろう。それが倫理的性格を有することは疑いない」、「倫理的生として特殊の領域に限局された世界ではなくして、生の諸領域、文化の全領域を包括することを妨げない」
「自律の概念をカント自身よりも広く解することを必要とし、彼のあまりに「道徳主義」的な一面性は止揚されねばならぬ」、「自律的な人間が自発的に従う規範は」「広く学問・芸術および国家生活においても、およそ独立価値を有する財の存在すべきところでは、必ず自律的な人間がなければならぬと解するのである」(391)
「自然と区別して独立固有の世界である精神的「文化価値」の世界を場として」
「道徳・国家・学問・芸術が、単なる人間性の生成発展ではなくして、結局、人間における固有の精神生活のうちに神的理念の顕現を意味する」。
「宗教は、個人に道徳的善を獲得せしめるにとどまらず、精神生活の全体を通じて、人間の全存在の領域の深所において価値を創造し、歴史的現実の形成に与らなければならない」(392)。
「歴史的具体的な国民または民族共同体の思想は、単なる自然的=生物的存在としてではなく、永遠の神的理念の地上における顕現として、この世界における強大な力を通して超越性階の確信を形成する。そうした神性の確信と宗教の力ほど、個人を内面において深化し、また同時に国民の個性を確固不抜さらしめるものはない。」
「宗教は自己自身のうちから全世界像を生み出せるのではなく、学問・芸術・国家などはそれぞれ固有の原体験を有し」(392)、「しかし、精神的価値生活の全体のなかにおいては、文化は宗教と結合・協働するのである」、「自由な個性が、みずからの責任において、反価値・反精神的、その意味において反宗教的の思想とは断えざる闘いのなかにおかれるであり、政治的共同体である民族価値国家がこれに協働するのである」、「文化闘争」(393)
「現在においても神的絶対の前に緊張と充実の生活である。その意味は永遠のいまの絶対の存在というのではなく、むしろわれわれの存在は永遠の未完成である。宗教に固有なのは決して対立と矛盾を弁証法的に止揚するのではなくして、それを深めること、そして」(393)「人生と世界の全体を次第に高めることでなければならぬ」、「精神的生活の事実こそは、宗教的真理の証明」、「宗教的根本真理なくしては、深い意味の学問も芸術も道徳も国家生活も成り立たないであろう。人が宗教を否定するとき、真の意味の精神生活も個性も獲得されないであろう」(394)。
「ひとり個々人の救いにとどまらず、人類と世界全体の高揚と更新に向かわねばならぬ」
「そのためには新しい形而上学的要請を必要とするであろう」、「われわれの内面的生をそれ自体一つの世界にまで拡め、自己固有の精神の共同体として、独立の「国」でまで高めねばならぬ」(394)
「イエスの人格において象徴せら」(394)「れる生の新しい体様と精神的創造的生とそれを中心とする無限の新しい精神の共同体としての「神の国」の理想」、「教養人の単なる思惟像でなく、何よりも自己内奥の「事実性に根拠し」」「われわれの心的生活の真実さを要求するのである」、「もはや文化の世界を超出する」、「すべての文化を超えた内的超越の世界」
「このような世界の存在は」「われわれの理論的知識にとっては、そこまでも課題であり、理念たるを失わず、科学的認識によってはこれを肯定することも否定することも、ともに論証不可能となかれならぬ」、「形而上学的要求」(395)
「カントの排斥したような絶対的実在または超越的対象に関する知識としての形而上学ではなく、新しい別の意味の形而上学的領域の指示について、哲学は異議をさしはさむべき権利を有しない」(396)
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