南原繁『国家と宗教』7b

 南原繁 『国家と宗教──ヨーロッパ精神史の研究』 の補論「カトリシズムとプロテスタンティズム」の「七」の後半です。「七」のテーマは、日本的キリスト教ですが、後半はその内容に直接関わる議論です。ここでは、日本的キリスト教についての積極的な可能性が論じられ、それは、内村鑑三や矢内原忠雄などの議論と合致するものと言えますが、ほかの文脈での、ナチスを典型とした「民族」「国家」への批判を考えれば、ここだけで、南原の日本論を捉えることには無理があるように思います。『国家と宗教』という著書の内部でもそうです。1942年という時代背景が問題です。また、「世界的なる新日本文化の展開」は戦後の南原が取り組んだ問題と言うべきです。
 『国家と宗教──ヨーロッパ精神史の研究』の長い補論も、次の「八」で締めくくりとなります。後もう少しです。

「ヨーロッパ世界に今教会が発展して来たのは、固有の伝統と歴史的環境を必要とした。いま欧米のごとき何らの歴史と伝統を持たないわが国に必要なことは、それを創りまたは模倣するおとではなくして、ヨーロッパ世界とは異なった出発をなるべきであろう。何か。それは原初にしてかつ新たな方法である。すなわち、ひたすらキリスト・イエスの人格において象徴せらるごとき神的絶対理念との結びつきによって、内面的に更生された新たな人格的関係である」。
「それには、長い歴史を通じて君臣・父子のあいだの絶対的忠信と信従の関係を実践し来たったわが国には、ただに絶対主義的・封建的道徳という以上に、それを超えた、固有の高い道徳的基礎を欠きはしない」(403)
「国民の各個がこの聖なる深き結合関係に入り込み、ついには全体のわが国民的共同体が真の神的生命によって充たされるにいたるまで、神の国の形成は已まないであろう。しかるとき、日本国家に内的基礎は最も鞏固な永遠の精神と地盤の上に据えられたものとなるであろう。「日本的キリスト教」とは、これ以上のものではないのである。」
「以上のごときは、往々「無教会」主義の名をもって呼ばれるところのものである」、「近世思想家としては、ヨーロッパにおいてはおそらくキェルケゴールを挙げ得るであろう」、「神の前に謙虚な「孤独の人」を説いた」、「わが国おいて」「内村鑑三その人」、「ドグマと制度の教会の権威に反対して、敢然純粋福音主義のために闘ったのは彼であった」(404)
「神の前に真の「日本人」たることを教えた」、「彼の無教会主義信仰の裏には、燃ゆるがごとき祖国愛が脈うっていた」
「キリスト教がわか国体と相容れるか否かは、もはや議論を超えた問題である」、「三谷隆正氏の言えるごとく、「問題は・・・これをいかに摂取するかである」」、「日本民族は、これまで世界的宗教たる仏教を摂取して、すぐれて日本的なものに創り上げてきたのであった」、「近世の初め」「第一の宗教改革を断行したものは、ゲルマン的ドイツ民族でった」「ドイツ的キリスト教を完成したのであった」、「同様のことが、将来第二の宗教改革として、東洋の日本民族によって遂行し得られないと、誰が断言し得るであろうか」(405)「日本が将来、世界の精神界に寄与し得る大なる一つの道は、この東洋的にして世界的なキリスト教の東洋的還元と日本化にあると思われる」、「新たな意義において世界的なる新日本文化の展開を期待する者」(406)
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