『福音と世界』 から

『福音と世界』 2016. 11(新教出版社)が届きました。今回も、執筆者ということで、早めに出版社から直接届きましたが(定期購読分は生協書籍部から来週中に届くでしょうか)、わたくしは現在、来月刊行の12月号の連載に取りかかっているところです。予想通り、さまざまな仕事が重なり、過密状態です。

 いつものように、特集から。今回のテーマは、「聖書と映画」です。
 「聖書と映画」というテーマは、現在非常勤講師として担当の授業で、これから講義する予定の内容でもあり、今回の特集は大変参考になります。また、現在、キリスト新聞「スクリーンの中のキリスト教」「神なき時代のキリスト教映画」を連載中の服部さんも、論考を寄せており、その点もわたくしにとっては、興味深い内容です。
 「聖書と映画」というテーマは、現代において、文化の神学を構想する際に、はずせない領域であり、たとえば、ティリッヒならば、このテーマにどのようにアプローチし、分析を行いかなど、さまざまなことを考えさせられます。いすれにせよ、映画に示される現代文化の動向に対して、何をどうするか、どうできるか、神学は問わせていることには、間違いありません。

 収録は下記の論考。

・「アメリカ映画のイエス・キリスト──その変遷の歴史」 (木谷佳楠)
・「聖書と映画の120年史」 (服部弘一郎)
・「いいじゃないか、映画なんだから」 (冨田正樹)
・「「復讐は創造主にまさせよ」──『レヴェナント──蘇えりし者』を見た」 (久世そらち)
・「明日に向かって手を取り合う──映画『パレードへようこそ』から見えてきたこと」 (中村吉基)

 映画論と思想ということでは、ジジェクを思い出す。
 
 特集のほかに次の書評と論考が掲載。
・書評:芦川進一『カラマーゾフの兄弟論──砕かれし魂の記録』」 (釘宮明美)

 『カラマーゾフの兄弟』となると、愛読者として一言言いたい人も少ないないだろうか(あるいは少数派か)

・「旧約聖書における社会的弱者をめぐって──寡婦と孤児と寄留者」 (月本昭男)
 
 この論考を引用させていただくことが、これからおそらくあるような気がする。

次に、連載(ほんの一部ですが)から。
 わたくしが担当の連載「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」は、二回目で「弁証法神学の意義」として現代神学の前半を概観しました。これは、「現代神学」を論じる前提に属する議論です。今回は、はじめに1万数千字の分量の文章を書いてしまい、それを制限字数に収めるのに苦労しました。次回は、現代神学の後半を扱います(1970年代から現在まで)。

・今月号から始まった新しい連載として。
 吉松純さんの「アメリカの神学と教会のいま」という連載タイトルで、今回は「大統領選に揺れる教会と信徒」です。わたくしの連載とも関係する部分が少なくない内容にも思われますので、注目したいと思います。
 今回は、まさに現在進行中の大統領選挙ですが、歴史的背景に遡った解説(トランプ支持の背景にあるもの)がなされています。

新しい連載の一方で、今月号で終了した連載もあります。一つは、本ブログではほとんど紹介できなかった(文章をまとめる時間の関係で)、木原葉子さんの「カナダ教会通信」。⒓回目が最終回になりました。連載を担当し、毎月決まった分量の原稿を書くというのが、授業やほかの研究との関係でなかなか難しいことを実感ししつつありますが、連載ご苦労様でした。
 もう一つは、本ブログでは、毎回紹介してきた、一色哲さんの次の連載です。今回で終了は残念な気がしますが、「編集後記」では、「なるべく早く単行本化したい」とありますので、それを期待しています。

・一色哲「南島キリスト教史入門」 25 (最終回)
 「南島の軍事化と教会(二) 戦場に取り残された信徒と伝道者」

 「戦火のなかの教会では、それが止むと、生き残った伝道者や信徒たちは、半年か一年後には、それぞれの元の地に集まって、教会堂も再掲される。つまり、生き残った者を通じて、教会の歴史は、戦後へと受け継がれていく。」(43)
「南島の場合には、信徒や牧師の日本本土や台湾への「疎開」という特殊事情も加わってくる」「地上戦の中の教会」
 「南島キリスト教史における戦前期の伝統の終焉について論じたい。」(43)

 小見出し「戦場に取り残された教会」「軍官民一体となった運動による教会の閉鎖」「本土教団から切り捨てられた南島の諸教会」「離脱する伝道者たちと疎開する信徒たち」「断絶を超えて」

 「一端消滅したかに見えた南島の教会であったが、沖縄島中南部で激戦が続いている山中の一九四五年四月末、早くも中城村宇島袋にあった民間人捕虜収容所では、百数十名を集めて、チャプレンがキリスト教の集会を開いていたという。」
 「それまでの信仰を受け継ぎつつ、それを日々新たにしながら、たくましく、戦後の歩みをはじめたのであった。」(46)

 こうした歴史叙述が重要なのは、特に現在、この時期の記憶が消滅しつつあるからである。今を逃してしまうと、まったく困難な状況にある。

・内田樹「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』と読む20」
 今回は、ポオの短編小説を紹介しつつ、催眠術から論がはじまる。覚醒と眠りの間の往復という議論の続きである。

 「レヴィナスはおそらくこのポオの恐怖譚のうちに、ハイデガー存在論に感じたのと同質のおぞましさを感知したのだと思う。」(67)

 「彼自身の生身が現に感知しているリアルな「不快」を言語化し、体系化しようとしている」、「「このわかりにくい」事況を説明する一時の方便として」の「位相転換(hypostase)」という鍵概念の導入」(67)

 というわけで、今回は、この「位相転換」の生成の現場にまで遡るということがテーマとなる。
 議論は「意識」から。
 「気がついたらすでに分節をし終えた世界へ「壁を通り抜けて」踏み出していたという事況」「壁抜け」「裂け目」

 「意識とはすでに位相転換である。「実存すること」と「実存者」との位相が違うということが意識をあらわしめるのである。実存することの容赦なさは世界を覆い尽くしては以内。そこには異なる境位へ抜ける亀裂がある。そのことが意識の存立を可能にしている。」(69)

 カバラーの「ツィムツーム」という神秘的概念によって補助線を引く。という仕方で説明が試みられるが、まだすっきりした説明は示されていない(と筆者は考えている)。議論は次回へと続くことになるだろう。
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