現代キリスト教の思想動向3

 本ブログでは、現代キリスト教の思想動向を捉え、可能ならば分析評価することを試みたいと考えているが、今回は、方法論的な問題に触れることにしよう。
 なお、「現代」「キリスト教」という用語に関わる限定については、『福音と世界』 2016. 10 (新教出版社)から始まったわたくしの連載 「現代神学の冒険」 で論じているので、そちらを参照いただくことにして、ここでは、追加すべき論点を取り上げてみたい。

 特に問われるべきは、「現代キリスト教」といった対象を捉えようとすることに伴う困難であるが、根本的な問題は、キリスト教とその思想が有する「歴史性」である。キリスト教や思想と言っても、存在するのは、歴史的な文脈の中に存在する個々の具体的なキリスト教と思想であり、多くの場合(わたくしの場合も)、この対象を把握しようとする研究者自体が、対象の一部を構成しているということである。そこには、研究者の視野の限定性と精度の限界という事態が存在しており(現象学や解釈学の議論を持ち出すまでもなく)、いわば現代キリスト教もその思想も、限界概念としての意味を有するだけであるとも言える。
 わたくしの場合は、キリスト教といっても、プロテスタントに属するいくつかの流れが視野に入っているのみであり(もちろん、「情報」というレベルでは、決してそんなわけではないが)、現代キリスト教の多くの部分は視界のなかで漠然とした像を結ぶのみであり、また地平の彼方に存在している部分も少なくないだろう。

 では、こうした限界の中で、どのようにして、「現代キリスト教」あるいは「その思想動向」を有意味な仕方で論じうるであろうか。これについては、「キリスト教研究者共同体の研究成果に依拠して」と述べるべきと思われる。一つは優れた先行研究を参照し、そこに描かれた像を延長することを試みるということであり、また、現在、研究を進めつつある研究者と情報を交換し研究動向に対して敏感であることである(研究会や学会は、そのために存在する。自分の研究を口頭あるいは論文で発表してそれで終わりということではないだろう。重要なことは、取り組んでいる問いの巨大さに対して、謙虚であることである)。

 こうした点を考える上で、再度分析し直す必要を感じるのは、トレルチである。トレルチは、ハルナックを意識しつつ、キリスト教を歴史的にそして理論的に捉えようとして探究を行った思想家であり、たとえば、『社会教説』あるいは「「キリスト教の本質」とは何か」は、以上のような方法論を論じる上で、現在も多くの示唆に満ちている。
 さらに、現代のわたしたちの強みは、このトレルチとわたしたちの間に、優れた少なからぬ思索が存在しており、それらにも依拠できることである。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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