フェミニスト神学について1

 ファミニスト神学は、わたくしも講義でしばしば取り上げる現代神学を代表する神学動向であり、通常、解放の神学に関連付けられるものである。そこには、この半世紀の間の現代神学を牽引してきた思想家の名を見ることができる。
 もちろん、フェミニスト神学は現代思想におけるフェミニズムの大きな影響下にある動きであって、神学の動向だけで捉えきれるものではない。かなり広い視野が必要であり、フェミニスト神学自体の進展も考慮する必要がある。
 たとえば、栗林輝夫は、『現代神学の最前線』(新教出版社、2004年)の第六章「ポストモダン時代のフェミニスト神学」で、1960年代後半にアメリカで始まったフェミニスト神学とラディカル・フェミニスト(たとえば、メアリー・デイリー)の伝統的キリスト教からの離脱を論じた後で、フェミニスト神学の次のフェイズを取り上げている。

 一つの動きは、フェミニスト神学が扱うべき文脈の拡張・多様化である。フェミニスト神学は、現在、「アメリカ・白人・主流教派・中産階層」という当初の文脈を大きく踏み越え、またキリスト教外の様々な動向との結びつきを見せ始めている。そこには、従来のフェミニスト神学への批判も見られる。たとえば、ウーマニスト神学(黒人女性の神学)やムヘリスト神学(カトリック・ヒスパニック女性)であり、それは、アジア、アフリカといった文脈まで広がりつつある。
 ファミニスト神学という文脈的神学において、文脈の拡張と多元化が進行中と言うべきであろう。

 また、新しい動向としては、1980年代以降のいわゆるポスト近代の状況も従来のファミニスト神学に新たな展開を求めている。この点で、栗林はフルカーソンを「フェミニスト神学にポスト構造主義の視点をもちこんで、ポストモダン時代のフェミニスト・キリスト教にひとつの方向を投げかけた」(99)と評し、注目している。フルカーソンについては、次回に取り上げてみたい。
 さらに、さまざまな動向が複合するクイア神学など、性をめぐるキリスト教神学の状況は「創造的混沌」の中にあると言うべきかもしれない。

 <雑感>
 現在、京都大学は11月祭・学園祭の最中であり、もう少しすると、学生がどんどん集まってくるであろう。しかし、早朝からキャンパスに来て目立つのは、人のいない屋台とカラスの群れである。例年感じることであるが、カラスのいる屋台というのは、不思議な光景である。
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