文化の神学17

 文化の神学は、ティリッヒの神学構想として有名であり、本ブログでもそれを念頭に議論を行っている。ティリッヒが1920年代の初頭に提示した構想では、文化の神学は、哲学、精神史、規範体系論の三つの部門から構成されていた。「宗教」で言えば、宗教哲学、宗教史、規範的体系論(体系的神学)である。
 これまで本ブログで、取り上げてきたのは、この三つの部門で言えば、主に、第二の文化の精神史に属するものであり、文化の神学の素材に当たる議論である。しかし、これだけで文化の神学とならないことは、ティリッヒに構想に即して考えないとしても、明らかであろう。素材を相互に関係付け、議論をまとめあげるためには、哲学的思索が不可欠である。
 しかし、ティリッヒの場合の「意味の形而上学」に相当するものを直ちに提出するのは、容易ではない。そこで、精神史と哲学とを繋ぐような議論が必要になる。今回紹介するのは、このような位置を占めるものであり、一見すると、文化の精神史(音楽史)であるかに見えて、哲学思索への方向性が読み取ることができる興味深い著書である。

T・G・ゲオルギアーデス
『音楽と言語』
講談社学術文庫、1994年(原著は、1954年)

まえがき
 一 序論
 二 古代およびカロリング朝以前の時代
 三 カロリング朝時代
 四 中世盛期
 五 十四世紀と十五世紀
 六 パレストリーナ
 七 モンテヴェルディ
 八 ドイツ語と音楽
 九 シュッツ
 十 器楽とJ・S・バッハ
十一 ウィーン古典派
十二 音楽的現実の諸段階
十三 ロマン派
十四 現代
十五 歴史としての音楽

訳注
ミサ通常文 対訳
訳者あとがき (木村敏)
学術文庫版あとがき

 実は、精神史という議論自体が、通常の世界史とは位相が異なっており、そこには一定の哲学的歴史理解が前提となる。これを顕わな仕方で哲学として取り出すことは、哲学的作業と言うべきであろう。

「宗教改革に伴うミサの廃止は、宗教改革の神学的な思想を度外視して、ドイツ語の導入ということだけから見ても、ある程度まで理解することができる。ルターがドイツ語を発掘し、彼独自の意味において言葉を尊重したことと、彼が行為としてのミサを軽視したこととは、深く関連しあったことなのである。」(122)

 こうした議論は、まさに哲学的に面白い思索の展開を可能にするはずである。
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