翻訳という仕事

 今回は、先ほど試験監督をしながら、考えたことを記事にしました。(今週から試験・レポートが始まり、今月中は、採点・成績となりますが、それと並行して、博論、修論、卒論の試問が行われます。これらが終わると、大学院入試、そして大学入試へと順次、仕事められ、その間に、報告書などをいくつか作成し、気がつくと、3月といった感じです。そこに、研究会が入り、論文を2本書き上げる。これが、今年度末のわたくしの仕事であす。)

 研究者として、研究活動を行っていると、さまざまな関係で翻訳の仕事を頼まれることがある。特に、若手研究者の場合は、研究者としてのキャリアという点で(あるいはともかく仕事があったということで)、引き受けることが少なくないだろう。わたくしの場合も、そうであった。
 しかし、翻訳の仕事を行う中で、それが大変な仕事であることが実感され、また研究業績という点でも(翻訳は研究業績としては必ずしも高い評価を受けるわけではない)、むしろ自分の研究テーマでの論文執筆に時間を割きたいということが少なくように思われる。これは、人によってさまざまなあり、一概には言えないことではあるが、わたくしの場合はそうであった。

 もちろん、翻訳の仕事、特に自分の研究に密接に関わった研究書を、親しいほかの研究者と共訳する仕事は、楽しく、魅力的である。わたくしの場合は、マクグラス『「自然」を神学する──キリスト教自然神学の新展開』(教文館)がそうであった。確かに、翻訳には苦労したが、共訳者が研究会を積みあげ、議論をしながらの翻訳作業は、一度経験する価値がある。しかし、こうした翻訳は、むしろ稀であって、多くの場合、翻訳は大変であり、それをなんとか楽しくやりたいものである。

 翻訳は、日本文化の基盤の一つであり、優秀の翻訳者は貴重な存在である。現在、手がけている論集の共訳では、収録論文のテーマに応じて、そこで論じられる思想家について、既存の邦訳を多く参照する。最近しばしば感じるのは、専門家による邦訳であるにもかかわらず、精度の高い翻訳は必ずしも多くないということである。質の高い仕事が出来る翻訳者を養成することは、学問研究における一つの課題かもしれない。

 共訳という形で若手研究者の仕事になるということでなければ、わたくしとしては、今
行っている翻訳の仕事以降は、しばらく翻訳はお休みしたいところである。(現在の翻訳は、予定では、今年度末が区切りであり、来年度にずれ込まないことを願っている。)
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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