災害・厄災に直面した教育学の可能性

 近代以降の科学技術の進展は、人類をさまざまな自然環境の制約から自由にし、この制約を確実に克服するかにも思われた。しかし、自然環境の制約はますます巨大であることが実感されざるを得ない状況は21世紀も続いており、さらには科学技術自体が大きな側面を伴うことが明らかになりつつある。
 この困難な状況において、人類の進むべき未来を構想することは、特定の諸学科だけでなく、すべての、そして特に、人文系の諸研究分野でも共有された課題であることが自覚されつつある。わたくしが直接関わる宗教研究、キリスト教研究においても、そうであるが、こうした中で、注目すべき論集が、教育学の領域から刊行された。

山名淳・矢野智司編
『災害と厄災の記憶を伝える──教育学は何ができるのか』
勁草書房、2017年。

はじめに(山名淳)
序章 災害と厄災の記憶に教育がふれるとき (山名淳)

第Ⅰ部 場所が語りだす記憶に耳を傾ける
  第一章 〈非在のエチカ〉の生起する場所──水俣病の記憶誌のために (小野文生)
  第二章 東日本大震災における教師の責任──ある保育所をめぐる裁判を事例として (田端健人)
  第三章 災害ミュージアムという記憶文化装置──震災の想起を促すメディア (阪本真由美)
  第四章 広島のアンダース──哲学者の思考に内在する文化記憶装置と〈不安の子ども〉 (山名淳)

第Ⅱ部 厄災を受けとめる思想の作法を探る
  第五章 災害の社会的な記憶とは何か──〈物語〉を〈語り─聴く〉ことの人間学的意味について (岡部美香)
  第六章 厄災に臨む方法としての「注意」──「不幸」の思想家との対話 (池田華子)
  第七章 学校で災害を語り継ぐこと──〈戸惑い〉と向き合う教育の可能性 (諏訪清二)

第Ⅲ部 次世代に伝える課題を重さを考える
  第八章 それからの教育学──死者との関わりから見た教育思想への反省 (矢野智司)
  第九章 問いの螺旋へ──東日本大震災と教育哲学者の語りの作法 (井谷信彦)
第一〇章 カタストロフィーと教育学──いまだ明らかにされていない両者の関係性をめぐって (ローター・ヴィガー) 

終章 厄災ミュージアムの建築プラン──記憶し物語り伝達し公共的に活動する場を目指して (矢野智司)
おわりに (山名淳・矢野智司)

索引

 語り、記憶、公共性など、哲学系の諸分野では共有された問いであり、教育学は「教育」という場に直面しているだけに、より具体的な展開がなされてきたと言うべきか。では、宗教研究は?
 
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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