アガンベン・メモ2

ジョルジョ・アガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』の2回目です。

第一部 身体の使用
1 働きを欠いた人間
1・1
「《身体の使用》」「という表現は、アリストテレスの『政治学』の最初で、奴隷の本性についての定義がなされる箇所に出てくる」、「都市は家族また家(oikiai)で構成されている。そして家族はその完全な形態においては奴隷と自由人とから」「なる、と」、「三種類の関係」
「主人と奴隷のあいだの関係が最も重要な関係ではないまでもすくなくとも最も明白な関係であるらしい」(16)
「奴隷を《人間でありながら、その自然によって、自分自身に属するのではなく、他人に属する者》を定義」、「《だれが自然によってこのようなものである人間がいるだろうか、それとも・・・》」、「回答は、支配の正当化を通じてなされていく」、「専制的な支配」「魂の身体にたいする支配」、「理知の本能的欲求にたいする支配」「政治的な支配」
「支配に必然性と自然な」「性格」(17)
「アリストテレスの思想において家(oikia)を都市(polis)から分離している明白な区別」「魂と身体の関係は(主人と奴隷の関係は)家政的な関係であって政治的な関係ではないということ」、「主人と奴隷とあいだの関係と魂と身体のあいだの関係とは相互に定義しあう間柄」、「家を都市から分離している句切りは、魂と身体を切り離すと同時に結び合わせているのと同じ閾の上で主人と奴隷を切断している」、「この閾を問うことによってのみ、ギリシアにおける経済と政治の関係は真に理解可能になるのではないか」(18)
1・2
「劣る」「その働きが身体を使用することにあって」「自然による奴隷」「支配によって支配されるほうが善いこと」
「エルゴン(ergon)」「人間に固有の働き」「《ロゴスにしたがって魂が働いていること》」、「奴隷とはその働きが身体の使用にのみあるような人間のこと」(19)
「奴隷は」「アリストテレスが「身体の使用」以外の言い方を見いださせないでいるなにものかであるうような人間的なものの次元の出現を代表」
「エルゴン(ergon)とクレーシス(chresis)、働いていることと使用とは、それぞれ魂と身体にかかわるものとして、厳密に対置されているようである」(20)


 かなり重要な問題がはじめから議論されます。
・「魂と身体」と「主人と奴隷」、「支配」
 この支配の存在論は、聖書的思惟との対比を必要とする。古代ギリシャでも古代イスラエルでも、奴隷は存在していたが、その存在的身分は対照的である。
 ヨベルの年の規定。王権に対する反王権イデオロギーの存在。おそらく、これらは、神と人間の契約に根拠づけられる。
・「政治と経済」との区別と関係、都市と家。これは有名。
・「働いていること」と「使用すること」は、所有と使用という対比に関連付けられることによって、ヨーロッパ思想の基本構造となる。とくにクレーシスは、ウェーバーの資本主義論のキーワードとなる。
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