『福音と世界』 から

『福音と世界』 2017. 4(新教出版社)が届きました。 この3月は、まだ月末まで、学会や研究会の予定が入っており、年度末の休暇などほとんど存在しない感じですが、『福音と世界』をはじめ、雑誌の暦は、すでに4月、新年度のようです。

 宗教改革500周年を迎える2017年。『福音と世界』では連続して「宗教改革」に関係する企画が特集されています。今回は、「結婚の変容」の問題です。結婚は、共同体形成にとって重要な事柄であり、その宗教的意味づけも、キリスト教世界内部でも多様な現実があります。それに宗教改革は何をもたらしたのか。宗教改革を近代へ向かう文脈で考えれば、近代家族の形成にとって、それがどのような影響を及ぼしたのか、という設問が立てられるでしょう。結婚の変容は、キリスト教を社会的現実の中で理解しようとする際に、不可欠の視点となるのである。

 今回収録されたのは下記の論考。

・「宗教改革における結婚の問題」 (村上みか)
・「ルターの結婚観と結婚の経験」 (小田部進一)
・「男と女の共同の生──ad fontes「みなもと」にもどって考える」 (菊地純子)
・「聖書における結婚と独身──新約テクストを中心に」 (澤村雅史)
・「東方正教会の聖職者の職階と結婚について」 (水野宏)
・「キリスト者の召命と結婚の秘跡──第二ヴァチカン公会議とそれ以降」 (桑野萌)

  
 今回はこの特集に続き、本ブログでも取り上げた、モルトマンの邦訳書への書評、そして最近話題の映画レビューが掲載されている。
・「終末論的視点から現代の諸課題を考える」=書評:ユルゲン・モルトマン著『希望の倫理』 (小原克博)
・「崇高と残忍さと」=映画『沈黙─サイレンス─』レビュー (塚本潤一)

今月号から、新しい連載が開始されました。
・高井ヘラー由紀「はじめての台湾キリスト教史(1)」:「揺れ動く台湾の文脈と今日のキリスト教概況」
 「国」としてみとめられていない台湾、「台湾人」とは誰か、台湾のキリスト教概況
 「少数派、と述べたが、台湾におけるキリスト教徒の対人口比は、三~六%とされ、ここ三〇年ほど堅実に増加を続けている」 

 たしかに「はじめての」試みと言えるものだろう。日本におけるキリスト教理解・キリスト教研究は、「キリスト教」のほんの一部をカバーしているにすぎないということである。台湾は、わたくしでさえ何度か訪れたことのあるところであって、身近であって興味深い地域である。 

 次に、連載(ほんの一部ですが)から。
 わたくしが担当の連載「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」は、七回目。今回は、第二番目のセクション「聖書の社会教説から社会科学へ」の2番目。「現代神学と経済」の問題です。「経済」がキリスト教思想で問題とされたのは、少なくとも一九世紀まで遡れるものですが(近代的な学としての経済学を意識した経済の議論という点から考えれば、一九世紀辺りからはじめるのは、当然とも言える)、今回の内容にはいくつかのポイントがあります。まず、聖書の経済観は、多様であり、一つの見方に単純化できないこと、それゆえ、キリスト教的経済を単純に描くことは困難であること(政治の場合と同じ)。次に、しかし、経済はキリスト教にとって周辺的な事柄ではなく、聖書自体にも豊かな経済との関わりが読み取れること。三つ目に、キリスト教思想における経済への関心は、リーマンショック以降、大きく高まっていること。そのほかに、経済学と環境学の相関関係(次回)、環境問題内部での経済学と政治学の緊張関係(次々回)なども、問題です。

・吉松純:アメリカの神学のいま6 「コンテクスチュアル神学3 ウーマニスト神学」
 フェミニスト神学は狭義に解すれば、白人神学者(リューサー、ラッセルなど)がその担い手のアメリカを中心として神学運動と解することができるが、「女性」ということから考えれば、白人以外の広がりが当然あって然るべきということになる(いわば広義のフェミニスト神学。あるいはこちらを「フェミニスト神学」と呼ぶのが整合的)。実際、フェミニスト神学はその形成期である、1960年代から80年代は、白人神学者が中心であったものの、その後、黒人、アジアといった非白人系の神学者が発言を行うようになり、それは、キリスト教の範囲を超えた広がりも示しつつある。今回取り上げられるのは、その一つである、「ウーマニスト神学」。
 
最後は、次の連載。
・内田樹「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』を読む24」
 前回に 「ここが解釈上の難所」といわれたところから、今回は始まる。しかし、「ここが解釈上の難所であるのは、日本語に訳して読もうとするからである。le présent は日本語に訳せない語だと腹を括ってしまえば、ここが解釈上の難所である理由だけはわかる」、これが、さしあたりの中心的な論点である。

「事物には「いまだ存在しないが、いずれ出来する(かもしれない)」という揺らぎの様態があることをほのめかす」、「事物をそのような未決定の揺らぎのなかで把握すること」、 「le présentは、<実存する>という出来事であり、この出来事を介して、何らかの事物が出来するのある」の「出来」のニュアンス。

<実存する>出来事の後に残る「抜け殻」としての実存者。
<実存する>と<実存者>の「境界線」

カバラー的考想、神の自己収縮・自己消失によって空いた空間に万物が生じる。
「「先立つものが先だって存在したという痕跡をすべて消し去ったことによって何かが始まる」」、「消え去るまでは、始まらない。」
「絶対的な断絶こそが消失と開始を結びつけている。それが境界で起きる出来事とである」、「消失は動的なプロセス」

 聖書あるいはキリスト教には、「すでに/いまだ」の二分法ではないもの、あるいは「最終状況/先取り」という思考法がある。これらとレヴィナスの議論はどのように関わることになるのか。時間論はおもしろい。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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