宗教哲学と死者

 死・死者、苦・苦難は、古来、重要な思想的なテーマとして存在し、無数の思索ななされてきた。これは、宗教思想においてはとくにそうであり、この状況は、近年、さらに高まりを見せている。宗教哲学の存立にとって、このテーマは中心的な位置を占めていると言っても過言ではない。本ブログでも、しばしば取り上げてきた通りである。
 こうした思索に新たな研究成果が提出された。今回は、次の文献を紹介したい。

佐藤啓介
『死者と苦しみの宗教哲学──宗教哲学の現代的可能性』
晃洋書房、2017年。

序章 現代において宗教哲学は可能なのか?

第一部 悪をこうむる経験を考える
  第1章 不可能な赦しの可能性──赦しの解釈学
  第2章 暗い記憶の行き場──死者と復讐

第二部 死者の記憶の場を考える
  第3章 汝、死者を忘るるなかれ──公共空間と死者
  第4章 死者は事物に宿れり──死者の記憶の場としての世界

第三部 苦しむ経験を考える
  第5章 自然悪の苦しみと宗教哲学──神義論的問題の再編成へ向けて
  第6章 苦しみの叫び声は何を求めているのか──苦しみの現象学
  第7章 不幸と抗議──抗議の神義論的考察
  第8章 死という悪に死者は抗議できるのか


凡例・文献一覧
あとがき

 死と苦、重いテーマである。しかし、確かに現代的である、と言えるかもしれない。数ヶ月前に、紹介した、粟津賢太さんの『記憶と追悼の宗教社会学──戦没者祭祀と成立と変容』(北海道大学出版会)を思い起こした。
 また、現代という時代は、宗教哲学が困難な時代であるとの認識も多くの人々が共有するものかもしれない(困難の認識や理由づけはそれぞれであろうが)。わたくしも、昨日の特殊講義「キリスト教思想と宗教哲学」では、宗教哲学の困難から、話を始めた。
 
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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