演習より

 大学における思想系の授業は、講義と演習(講読、ゼミ)というタイプに大別されてきたと言えるが、あえてどちらに中心があるかと言えば、大学院の場合は、明らかに演習にあると言ってよいだろう。もちろん、講義は、授業を提供する側から言えば、準備のためにかなりの時間を必要とし、やりがいがあることは事実であるが、しかし、授業としては、特に授業を受ける学生の側から言えば、演習にこそ、力を注ぐべきものと言わねばならないであろう。研究指導と言えるものは、演習を介して行われる点も演習の重要性を示している。というわけで、演習が充実していないと、今年度は授業がなにか今ひとつといった感覚になる。

 今年度前期も、イントロダクションを経て演習がスタートし、軌道に乗りつつある時期であるが、演習を行って不思議な感覚になるのは、別々に選択していたはずのテキストが相互に結びついていることを発見するときである。現在は、ティリッヒについて、アメリカ亡命期の講義録(ドイツ語)と後期の文献(日本語訳での講読)の二つ、そしてそれに南原繁の文献を加えて、三つのテキストを読んでいる。ティリッヒの二つのテキストは、同じ人物(時期は異なるが)のものであり、結びつきは当然であるが、意外にも多くの接点や類似点が見られるのが、ティリッヒと南原の間である。最近の例で言えば、近世・近代の思想状況、特に人間理解に特徴を論じる際に、ティリッヒと南原はきわめて近い議論をおこなっており、しかも、二人ともストア派に注目していることがわかる。
 よくよく考えれば、両者の諸前提や関心の重なりから判断すれば、それほど驚くべきことではないわけであるが、別々の演習で、ほとんど同じ時期に異なる思想家の類似の思想を実際に目にすると、不思議な感覚が生じてくる。ティリッヒと南原は、両者を本格的に結びつけた仕方での研究が可能ではないか、これが最近の実感である。たとえば、全体主義論などは、アーレントも加えて、ぜひ議論してみたいテーマである。
 演習は、教師の側でも多くの発見があり、そこから新しい研究が展開する現場となるわけである。
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