『図書』 から

『図書』(2017. 6. 岩波書店)が届きました。30度を超える日が続きます。体調を崩して、なかなか回復しない方が少なくないようです。今日も暑くなりそうです。

 さて、今回の『図書』で目に付いたのは、次のエッセイです。

・大澤真幸「無調社会を支える調性を問う──『岩波講座 現代』は何を目指したか」
 これは、『岩波講座 現代』(全九巻、2015/10-2017/2)について、編集委員の一人として、この講座の意味を説明した文章である。それと合わせて、「現代社会についての若干の社会学的考察」が行われる。
 現代についての基本的な理解は、「バディウによれば、現代社会は無調音楽に議せられる。中心音(ヘゲモニー的な記号)が見あたらないからである」、この講座のねらいは、「無調社会において隠れている調性を見出すこと」となる。
 ここで注目されるのが、「第三者の審級」(全体を見渡すことができる超越的視点、それを有すると想定される「他者」)の撤退である。それは、「大きな物語」の終焉をもたらした。
 議論は、こうした典型的なポストモダンの議論として提示されるが、ポイントは、論者が「失われたもの」として、「超越的な第三者の審級を代理し、それを代弁する、具体的で内在的な他者たち」を指摘する点である。こうした第三の審級は、「純粋に抽象的なままにとどまる」ことになる。この抽象的な第三の審級が、現代人を束縛するところに生じる心理的な現れは、「消えない「不安」である」。こうして、「現代社会はそこに生きる者にとって息苦しく、閉塞的なものになった。」

 前半は、よくある議論、後半は、宗教思想のさまざまな議論を連想させる点で、再考を要する議論である。ブーバーの言う「神の蝕」とは、この現代の事態と関わりがあるのは、この「不安」という現れは、20世紀の中頃を中心とした議論と質的にどう違うのか、同じなのか。そもそも、「現代」とはどの程度の時空的輪郭でイメージされているのか。これは、「現代」なのか。「現代」の断片・断面ではあるとしても、どの?

 今回、読み応えのあったのは、次のもの。
・ブレイディみかこ:「女たちのテロル」・「死にたい者をして死なしめよ」
 「二十二歳のときに獄中で金子文子が予審判事に宛てた手紙」の一節が、このタイトルである。
 「文子が感情移入できたのは、虐げられている朝鮮人のほうだった。文子は抑圧する側のアウトサイダーの立場から、植民者たちの残虐性と非人道性を見透かしていた」。
 「一九一九年三月一日。朝鮮で起きた抗日独立運動は独立万歳運動や万歳運動とも呼ばれるが」、「文子」もその模様を目撃している。「後に文子が雑誌に発表した三・一運動に関する記事は、文字が官憲によって大幅に抹消されている」。
 「人間のまったき独立とは命がけで求めるものである。十六歳の文子はそのことを漆黒の瞳でしんしんと読み取っていた。」

 
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