西田田辺記念講演会より

 例年、6月の第一土曜日には、西田田辺記念講演会が開催されている。今年も、先週土曜日に行われ、西田哲学についての講演と田辺哲学についての講演が行われた。わたくしの仕事の関係で、前半の西田についての森哲郎さんの講演のみを聴くことができたが、二つの講演の題目は、次の通り。

 森哲郎 「西田幾多郞における「表現」思想──『善の研究』の成立と転回」
 嶺秀樹 「初期田辺の反省理論──西田批判の背景にあるもの」

 森さんの講演は、まさに西田哲学研究のスタイルでの専門研究であり、とくに西田を専門にしない者には、学ぶ点が多く有意義であった(必ずしも、十分に理解できたというわけではないが)。
 特に、次の点については、さらなる議論が必要のように思われた。

・「表現」モチーフについて。
 今回の講演は、西田哲学を最初から最後まで貫くものとして、表現と脱自の二つのモチーフが存在するというテーゼが提出され、それを論証するという仕方で進められ、講演後の質疑では、「表現」概念の理解をめぐって議論がなされた。おそらく、この議論を深めるには、概念とモチーフとの関係を整理することが有益であったのではないだろうか。思想史研究におけるモチーフ研究の方法を西田に適用する際の方法論的議論が必要ということであろう。ここが省略されるとせっかくの論叢がかみ合わないことになる(と感じられた)。

・講演原稿ともに配布された資料に、1936年に「中央公論」掲載の「鎌倉雑談」が掲載されており、その中の、「「歴史的実在」といふものは実は我々の日常の行動的生活そのままのことなのだ」、「真の日常」、「平常心是れ道」「平常心といふことのほかになにがあるか」とあること、これが西田の「平常底」に関わることが指摘された。
 この点は、突き詰めた考察が必要だろう。西田、禅、日常(平常)という連関は、そもそも何なのか。日常と「平常」とは、位相がすれてずれていないのか。
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