日本文学とキリスト教

 前期の講義もいよいよ大詰めであるが、今年度は、いくつかの講義で、「日本文学とキリスト教」に言及して、締めくくりを行っている。日本文学と言っても、明治以降の近代文学であるが、通常考えられる以上に、日本文学は聖書そしてキリスト教との関わりが深い。その意味で、近代日本文学は、近代西欧文学の文脈にあるといって間違いないであろう。
 太宰治が、東京武蔵野病院入院中に聖書を読み、「HUMAN LOST」で、「聖書一巻によりて、日本文学史は、かつてなき程の鮮明さをもて、はつきりと二分されてゐる」と書いているのは、その意味で解しうるものと思われる。そして、太宰が注目するのは、「キリストの嫋々の威厳」だったのである。この「嫋々の威厳」は、キリストの女性的とも言える「勁さ」であり、それは、遠藤周作のテーマに通じるものと言えないか。

 こうした点を考える上で、次の鈴木範久監修 月本昭男・佐藤研編 『聖書と日本人』(大明堂、2000年)である。
 先の太宰についての議論は、この論集に収録された、次の論文に依拠している。

田中良彦 「聖書と日本文学──太宰治を中心に」

同様の視点から、多くの近代日本人文学者が議論できるはずである。たとえば、芥川龍之介など。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR