旅とキリスト教

 旅をキリスト教は、さまざまな仕方で関連している。バニヤンの『天路歴程』(The Pilgrim's Progress)は典型であるが、そのモチーフは、遠く旧約まで遡る。

「12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。」(創世記)

 つまり、キリスト教と旅について考える場合、人生自体が旅であるというメタファーとともに、現実の「旅」の在り方に注目する必要がある。こうした点で、参照できるのは、たとえば、次の文献である。

・阿部謹也『中世を旅する人びと ヨーロッパ庶民生活点描』ちくま学芸文庫。
・関哲行『ヨーロッパ中世4 旅する人びと』岩波書店。

 こうした旅する人びとに注目するとともに、重要なのが、点在する「都市」の存在とそのネットワーク、そして中央と辺境の差異化である。その中で、教会は定住的なイメージとなる。

 しかし、次の文献も忘れることが出来ない(すでに本ブログでも紹介済み)。教会自体が旅をすることもある。

・永本哲也ほか『旅する教会 再洗礼派と宗教改革』新教出版社。

 もし、人生が旅であるとするならば、人間はその中でことさらに旅に出たくなるのか(ポール・ニザンの「アデン・アラビア」か)。それは、人生という旅を確認するためだろうか。
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