フェミニスト神学・補足1

 このところ、本ブログではフェミニスト神学についてさまざまに取り上げてきたが、当然、まだまだ紹介すべきことがある。日本での認知値は低いとしても、世界的なフェミニスト神学においては、重要な思想家は少なくない。といっても、紹介できるには、わたくしの蔵書内にあるものに限られる。
 たとえば、レティ・ラッセル(Letty M. Russell. 1929-2007)。
 ラッセルの著作で、日本語訳が思い当たるのは、次の二冊である。

Human Liberation in a Feminist Perspective - A Theology, 1974.
Hagar, Sarah and Their Children: Jewish, Christian and Muslim Perspectives, 2006.

 このうち前者の邦訳は、わたくしも、邦訳が出版された年に購入しており、現在も手元にある。

レティ・M・ラッセル
『自由への旅──女性からみた人間の解放』
新教出版社、1983年。

日本語版への序文
はじめに

1.自由への旅
2.人間解放と神学
3.活用できる過去を求めて
4.救いと意識化
5.受肉とヒューマニゼーション
6.対話における交わり

プロローグ


あとがき

人間解放というモチーフは、リューサーを思い出させる、また意識化は、当然パウロ・フレイレ。
わたくしの蔵書では、次の文章に下線が引いてあり、メモが付いている(現時点としては、30年以上前のことで、まったく記憶がない)。

「人類の半分しか代表していないのに、この男性が女や男とともにある神の継承者であることが、どうして可能だろうか。この疑問に答える一つの可能性は、女のかたちをとった受肉を探すことによって、つまずきをとり除くことである。もう一つの可能性は、イエスが単に「よき人」であったが、「新しい人を代表する」唯一の人ではなかったと言うことである。たとえば、イエスの特殊性は救いの問題にとってそれほど重要ではなく、したがって女性たちは自由に、古代の諸宗教にみられる母なる女神のような、より意味のある、女性的なモデルを探すことができるというのはその例である。」

 そして、これは下線はないが、次のように議論は展開する。
「キリストが代理であるということは、いまや男女が解放されて、協働性の新しいかたちを目ざすことで、真の人間の代表になることを意味する。」

 リューサーの議論とも共鳴し合う内容であるが、こうした理論形成に、フェミニスト神学の一つの特徴を見出すことができる。
 なお、ラッセルは、Mercy A. Oduyoye に影響を与えた人物である。
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