フェミニスト神学、補足3

 フェミニスト神学は、1960年代にアメリカから開始された神学運動であり、その後も、英語圏を中心に、それ以外の地域における場合でも、英語での論文や著作、国際会議において、展開されてきた。したがって、フェミニスト神学を紹介する場合、もっぱら英語におけるものとなってしまう(フェミニスト神学に限らず、現代神学の特徴である)。
 この英語中心の学問状況については、これ自体が問題である。近代の古典的な植民地主義あるいはその後の植民地主義は交代したとしても、頑強に残るのは、言語と文化の植民地主義である。現代のグローバル化が大英帝国の派遣に遡る英語一強時代であり、英語の文化的浸透が少数言語の危機・絶滅を促進する要因であることを考えれば、言語・文化の多様性を保持することを、キリスト教思想においても考える必要があるであろう。キリスト教思想は、過去に古典的な植民地主義や経済植民地主義に同調したのと同じ道を歩みつつあるのかもしれない。

 こうした中で、フェミニスト神学は、決して英語圏・英語的文化においてのみ展開したわけでないことは、述べておく必要がある。たとえば、ドイツ語圏である(ドイツ語圏も欧米ではあるが)。
 日本でも一定紹介されている思想家で、フェミニスト神学に分類できる人物として、すぐに思い浮かぶのは、ドロテー・ゼレとエリーザベト・モルトマン=ヴェンデルであろう。二人の共通点は、組織神学の分野の神学者であり、聖書学者中心のフェミニスト神学とは異なる視点を見ることができる点である。
 わたくしの手元にあるものとしては、それぞれ単著ではないが、次のものがある。

・W・レーヴェニヒ/D・ゼレ他
 『現代における神』
 新教出版社、1981年。
   この論集には、ユルゲン・モルトマンの論文とともに、ドロテー・ゼレ「神の非私有財産化」が収録されている。

・E・モルトマン=ヴェンデル/J・モルトマン
 『女の語る神・男の語る神』
 新教出版社、1994年。

 モルトマン夫妻の対論(シンポジウム、テレビ講演、インラビューにおける)のほか、エリザベートの論考としては、「父としての神」(ユルゲン・モルトマンの「母としての神」と対)、「フェミニスト的十字架の神学は存在するのか?」(ユルゲン・モルトマンの「キリストの試練・神の愛の痛み」と対)が収録されている。

 ドロテー・ゼレ、エリザベート・モルトマン=ヴェンデルの単著としては、次が参照されるべきだろう。

・Dorothee Steffensky Sölle
 Politische Theologie. Auseinandersetzung mit Rudolf Bultmann.
 Kreuz, Stuttgart, 1971 (erweiterte Neuausgabe, Stuttgart, 1982).

・Elisabeth Moltmann-Wendel,
Mein Körper bin Ich. Neue Wege zur Beiblichkeit,
Gütersloher Verlagshaus, 1994.

 次の世代のドイツのフェミニスト神学は、どうなっているのだろうか。
 
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