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ジジェク(2k)

11.寛容の原理
・「パウロのいう〈アガペー〉」、「デイヴィドソンが」「〈寛容の原理〉とよぶもの」、「途方もない大きな誤りの起こる可能性をわれわれはあらかじめ排除できるという事実こそが、解釈を可能にしている」(162)、「他者とのコミュニケーションにおいて暗黙に採用し、従っている前提である」(163)
・「寛容は選択肢ではなく、有効な理論を得るための条件」「寛容を強いられる」「それを好もうと好むまいと、もしわれわれが他者を理解したいのであれば、われわれはほとんどの問題において、他者を正しいとみなさなければなたない」、「〈真理〉を保証人としての「大文字の〈他者〉」の別名」(163)

・「各メンバーは、他の人はわかっているはずだ、それは「実在する物」を意味するはずだと思いこんでおり、だからこそ彼らはいつでもそれを使う」、「みんながそうした言葉を参照している。つまり、グロープを束ねているのは、結局のところ無知の共有なのである」(164)
 これが宗教の実態としたら、どうだろうか(ジジェク的な問いかけ)。

・「「例外[普遍的な]規則に基礎を与える」(164)
・「真に弁証法的な問題は、連鎖と例外が直接的に一致することである」、「例外的な形象の連鎖」(165)
 シュミット、アガンベン、ジジェク・・・。啓蒙的近代の「普遍─特殊」とは、別の概念構築の試み。その意味では、ポストモダン。

・「「症候の解消」は、」「欲望の能力が十全に機能するための非-病理的な状態をもららすことなく、むしろ、心理全体の壊滅に、主体の住まう宇宙全体の崩壊につながっている。われわれの住まう象徴的空間の整合性を保証する「大文字の〈他者〉は存在しない」、「偶発的で、局所的で、脆弱な安定性」(166)
 症候・病理という例外、いわゆる「実体的」な「他者」ではなく、脆弱なもの。

・「大文字の〈他者〉の準-超越的な地位の弱体化」「キリスト教でいう寛容にきわめて近い意味での寛容」(167)
・「意味論的な寛容は、言語におけるある種の前提条件、つまり、つねに-すでにそこに存在する形式的かつ普遍的なものである。一方、キリスト教的な寛容は、希有で脆弱なものであり、かえず勝ち取り、何度でも取り替えさねぬものである」(168)
 キリスト教的寛容との差異はそうだろう。そころで、デイヴィドソンの状況はハーバーマスのコミュニケーション条件とどう違うのか。

・「キリストの死は、異境の神の周期的な死と同じものではない。それはむしろ、死と再生の循環運動からの断絶を、それとはまったく異なる次元に位置する〈聖霊〉への移行を、意味している」、「『パルジファル』が今日の「原理主義的」キリスト教徒のモデルである」(169)
・「ブローバルなものと普遍的なものとの対立軸にそって、二つの基本的な態度が存在する」「一方には、異教的〈宇宙〉」「宇宙の〈諸原理〉の〈神聖な〉階層秩序」(169)、「宇宙の破滅(脱線)と処罰を通じた〈秩序〉の回復との永遠の循環運動に関する明察」(170)、
・「キリスト教は」「それとはなったく異質な原理を、すなわち異教的な宇宙観からみれば怪物的な奇形以外のに何ものでもない原理を導入した。それは、各個人がじかに」「普遍性に達することを認める原理である」(171)
 これはまさにキリスト教(正統)とグノーシス主義とも相違である。ニューエイジの精神主義への対抗のための、キリスト教とマルクス主義の連携。このニューエイジの背後へのネオリベの資本主義がリンクする。

・「ここでいう家族関係は、社会的-象徴的なネットワークの総体を、すなわち、ブローバルな〈物の秩序〉におけるわれわれの位置を規定する特定の倫理的「本質」を、隠喩的に表現したもの」(171)
・「自分たちが生まれ落ちた有機的共同体から「絶縁する」ようにわれわれに命じるのは、愛そのものなのである」、「ここにおいてわれわれは、キリスト教の立場が異教的な知恵に対していかに異質なものであるかを理解できる」(172)
キリスト教における、家族のメタファー化、そして民族のメタファー化。

・「キリスト教とは、〈一者-全体〉の均衡を壊乱する奇跡的な〈出来事〉である。それは、宇宙の均衡した循環運動を脱線される〈差異〉の暴力的な介入である」(172)、「キリストという〈出来事〉は究極のスキャンダルである」(173)
・「シェリング」「そこで彼はキリストの出現を〈決断〉(差異を生み出す決断)の出来事として解釈した」、「その〈決断〉は異教世界の均衡を」「壊乱するのである」(174)
シェリングはこの決断を哲学として表現するのに成功したのか。なぜ、失敗に終わったか。哲学という営みの典型としてのイデアリスム(波多野)、この限界における哲学の止揚を哲学自体としてなし得るのか。哲学への固執の放棄が必要か。神秘主義あるいは沈黙。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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